「31歳になりました。三十路(みそじ)2年目でいまだ独身……」。あるいは「三十路に入って、脂がのってきた」。こういう書き方が増えているようだ。
こういうとは「三十路」の解釈、使い方のことだ。日本国語大辞典(第2版)では「みそじ【三十・三十路】①数の三〇。②三〇歳。三〇年」、最近第2版が出たばかりの大辞泉(横組み版)にも「みそじ【三十、三十路】①30歳②30。みそ」とあって「三十路を越える」の用例を載せる。おおかたの辞書はほぼ同じである。少々古い辞典では「みそじあまり【三十路余り】」の見出しで「三十歳代」としているものもある。そうすると31歳を「三十路2年目」というのは、おかしいことになる。使うとすれば「三十路を過ぎ2年目」だろうか。「三十路に入った」は微妙な表現だが、やはり30歳ではなく30(歳)代になってというニュアンスがある。
三十路にかぎらず四十路(よそじ)、五十路(いそじ)と続くが、この「……十路」を、最近は年齢の幅を表す語として捉える向きがあるようだ。おそらく「路」の漢字に惑わされているためではないかと思われる。旅路、家路などと使うように、「……路」は、ある特定の一点ではなく一定の長さの道筋・行程を想起させやすい。そのうえで三十路なら、30歳までのことではなく、30歳から、つまり30代のことだと考えるのかもしれない。また前掲の日本国語大辞典は「そじ【十路】」の見出しを立てて「数を数えるのに、10を単位としていう語」と説明する。10年をひとくくりにするところから、31歳も32歳も三十路に含まれる、との意識が働いた……と推量するのはこじつけに過ぎるだろうか。
ところで、三十路などの「路」は当て字なのだそうだ。二十歳と書いて「はたち」と読ませるが、この語も、年齢に限らず二十と書いて「はたち」と読む。「ち」は一つ、二つ、三つの「つ」と同じく、数詞にくっついて数を表す接尾語。その「ち」が濁って「みそぢ」「よそぢ」などと使われるようになった(現在の仮名遣いは「みそじ」)。漢字で書けば「箇、個」になるのだが、数のうちでも年齢を表すことが多く「路」を当てるようになったのだとか……。
30代と解するのはやはり無理があるかと考えていたら、三省堂国語辞典(第6版)には「みそじ【三十路】①三十歳。②三十代」と、年齢の範囲としての使い方も認めていることがわかった。四十路、五十路も同様に「四十代」「五十代」を載せている。手元にある同辞典の第4版(1994年発行)を見ると、すでに「三十代」と示してあるから、かなり以前から、この使い方は一般になされていたと考えてよさそうだ。ただし、同じ三省堂刊の大辞林(第3版)や新明解国語辞典(第7版)は採っていない。
三省堂国語辞典は、他の辞典に比べ、新語や新しい語釈を積極的に採用していることで知られる。新聞の校閲記者は、新しく生まれる言葉、消えてしまう言葉、あるいは誤用も含めて新たに加わる意味やその用法に対しては、どちらかといえば及び腰、よくいえば慎重な構えで臨むことが多い。したがって、この三十路、四十路についても30代、40代の意味で使うことには少なからず抵抗があるだろう。といって、「これは誤用だ」と一刀両断にするのにも、ためらいを覚える。校閲記者の間でも意見は分かれるかもしれない。
【軽部能彦】