「校正恐るべし」とは「後生畏るべし」(論語)をもじったことばで、目を皿のようにして見ても、最後の最後まで誤植が発見されるという意味合いがある。ましてや、私たちの仕事は原稿と引き合わせて、文字の誤りや不備を正す「校正」ではなく、事実関係を調べ正誤・適否をも確かめる「校閲」である。1字の誤りが信頼を傷つけたり、人権問題にまで波及したりする事例は枚挙にいとまがない。
毎日新聞の社史「『毎日』の3世紀」をひもとくと、1877(明治10)年の段階ですでに校合者という職名がある。印刷された本文などを基準となる原稿と照らし合わせる校正の役割を担っていたと思われる。その後、校正課、校正部などの変遷を経て、遅くとも1947(昭和22)年11月には校閲部という部署が存在する。以来60年以上の時が流れ、私もその半分近い年月、この仕事に携わってきたことになる。
さて、あなたは職責を全うしてきたかと問われると、いささか心もとない。
一つには、用字・用語を含めた日本語の直しと事実関係の確認を時間内に貫徹することの難しさがある。毎日新聞用語集の順守、ニュースの流れの整理・整頓、信頼できる資料にたどり着く手順、締め切り時間との兼ね合いなど、分かっているつもりでも自分自身の手際の悪さに歯がゆい思いをすることは月に何度もある。
もう一つは、忙しさにとり紛れて「誤りが一つあるところにはもう一つある」という鉄則を忘れてしまいがちなことである。一例を挙げれば、12日付朝刊の紙面で「12日の記者会見で管直人首相が語った」という記事の校閲。管→菅、首相→前首相の直しをして通り過ぎてしまうと、12日→11日ではないかという、誰がみてもおかしな落とし穴が待っている……。
こんな愚痴ともとれる話を同僚や後輩にすると「そうそう」「私も!」との共感の後、「そこを乗り越えないと本物じゃないよね」という言葉が返ってくるのが頼もしい。
年末年始に大量に発行される特集紙面の処理、総選挙への対応、そして読者の信頼を裏切らない日々の校閲業務。厳しい道のりではあるが、生き生きと仕事をこなす、そんなプロ集団でありたいと思う。
【渡辺静晴】