10月に公開された映画「八犬伝」では、主人公の馬琴が校正をやりすぎて妻に怒られるシーンがありました。馬琴は日記や手紙を豊富に残しています。今回のコラムでは、江戸時代の八犬伝の校正現場に迫ります。
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八犬伝の校正現場に迫る
10月に映画「八犬伝」が公開されました。主人公は、役所広司さん演じる曲亭馬琴(滝沢馬琴)。言わずと知れた江戸時代後期の人気作家です。映画は、馬琴が新作「南総里見八犬伝」の構想を親友の絵師・葛飾北斎(内野聖陽さん)に語り、作中の場面が実写で描かれるという、現実の世界と八犬伝の物語が交互に展開していくストーリーです。
馬琴は「校正」に相当うるさい人物だったようで、映画でも妻のお百(寺島しのぶさん)に「あんたが三遍も四遍も校正を出すから、一向に稿料(原稿料)がもらえないじゃないか」と怒られる場面がありました。また、息子の宗伯(磯村勇斗さん)が病床にありながらも八犬伝の校正ゲラに朱筆を入れて父を手伝うシーンもあります。
馬琴は非常に筆まめでもありました。自筆の日記や友人らに宛てた手紙が豊富に残っており、そこには「校閲(当時の読みは「きょうえつ」)」「初校」「再校」「引き合わせ」といった我々現代の校閲になじみの言葉も使われていました。今回のコラムでは馬琴が残した史料を基に、江戸時代の八犬伝の校正現場に迫ってみたいと思います。
※日記や手紙は基本的に現代語に訳し、内容も適宜意訳・省略しています。カギカッコをつけた部分は原文通りの引用です。ちなみに八犬伝の刊本は、早稲田大学の「古典籍総合データベース」で見ることができます。
「粉唐がらしをちらし候様」
時は天保3(1832)年。八犬伝の「第1輯(しゅう)」が刊行されてから18年がたち、今は「第8輯」制作の真っただ中。馬琴はこの時、数え年で66歳です。
当時の和本は木版刷り。校正作業は「校合(きょうごう)」と呼ばれ、木版から刷られた文字に誤りがないかチェックするのは著者の仕事でした。
・天保3年9月16日 友人への手紙
八犬伝第8輯下帙の第5巻の木版彫りが非常に悪く、半丁(1ページ)に50~60カ所もの直しがありました。朱を入れたところ「さながら紙の上へ粉唐がらしをちらし候様」になりました。
一人で校正するのは無理なので、息子(宗伯)にも手伝わせていますが、息子は病弱で、近ごろは風邪もはやっています。なかなか作業がはかどりません。
それなのに版元は、来月中には売り出すと言っています。このように「火急の校合」で「悪ぼり」も多いので、校正の見落としもあると思います。読者から多くの校正ミスをとがめられるかもしれません。
また、今月は雨が多いので書斎は薄暗く、老眼には校正がキツくて困っています。
八犬伝第8輯は上下の「帙(ちつ、本を包む覆い)」に分かれており、上帙は第1巻~第4巻上・下の計5冊、下帙は第5巻~第8巻上・下の計5冊でした。
馬琴の日記などによると、9月2日に第5巻の初校ゲラが届き、下帙の校正がスタート。しかし、1ページに50~60カ所もの直しが発生する、とんでもない「悪ぼり」でした。
当時の出版のおおまかな流れは、まず著者が原稿を書き、次に木版の下書きとなる「版下」を作るために原稿を清書する人がいます。その後、版下を使って版木師が木版を彫り、それが刷られて校正を経た上で製本され、発売されます。もし木版に直しがあった場合は、版木師が修正部分を削って正しい文字のパーツを入れ込んで対応しました。
しかし、校正的な観点から言えば、ここには二つの危ない点があります。一つは清書時に発生する誤写、もう一つは版木師による彫り損じです。仮に著者が完璧な原稿を書いたとしても、清書の段階、木版彫りの段階で間違いが起こる可能性があるということです。
馬琴からしてみれば、自分の責任とは関係のないところで間違いだらけの校正ゲラが出てきて、それを校正させられるのでたまったものではありません。
ところが上には上があったようで……。
「よみ本はじまり候て、めづらしき大悪ぼり」
・天保3年10月18日 友人への手紙
9月2日から八犬伝第8輯下帙の校正作業に取りかかっていますが、第5巻、第8巻上、第8巻下が「大悪ぼり」で非常に迷惑しています。特に第8巻下は、半丁(1ページ)に直しが150~160カ所あるものが、2、3丁(4~6ページ)もありました。少ないところでも70~80カ所の直しがあります。これは「よみ本はじまり候て、めづらしき大悪ぼり」で、半丁の校正に1日かかったこともありました。
息子にも手伝わせていますが、9月からずっと父子ともに苦しめられています。どうしてこんな目に遭わなきゃいけないのかと嘆くよりほかはありません。
校正もだんだん版木師との根比べのようになっていき、ついに直させて第8巻上までは作業が終わりました。第8巻下も一両日中には校了できるでしょう。
第5巻の直しの数もすごかったですが、第8巻下にいたってはその3倍もの直しが発生したようです。この時の馬琴は八犬伝の校正以外に別の作品の執筆なども抱えていたので、さすがにこれにはほとほと困り果てました。
「職人手を引候よしニ付」
そして、ついに校了の日を迎えました。
・天保3年10月19日 馬琴日記
夕方の午後4時ごろ、版元が八犬伝第8輯下帙の第8巻下の「四番直し」(4校)を持ってきた。引き合わせをしたところ、たいてい直っていた。ただ、句点の欠落やその他に直したいところが二三あったものの、これ以上の直しは職人が手を引くというので(「職人手を引候よしニ付」)、このまま刷るということで話がまとまった。来月1日の発売だ。
馬琴は4校を経てもなお直したいところがあったようですが、職人の方がそれを拒否した形です。映画でも妻に怒られていたように、馬琴は自分の気が済むまで校正するタイプでした。
「大苦心いたし候」
・天保3年11月1日 友人への手紙
八犬伝第8輯下帙の校正がようやく終わり、今朝売り出しました。
今回は4度まで校正して苦労しました。校正の時、文字の欠けにのみ意識を集中すると、誤写や彫り損じを見落とします。それを他人が見て、ここはどうこう、あそこはどうこうと言われるのは、さてもさてもつらいことです。
この度、別の作品の木版では、彫り賃を上げてもう少し彫りをよくさせるように相談しています。度々このような「悪ぼり」では、作品を書く気もうせてしまいます。
それにしても八犬伝の校正は、9月2日から10月19日まで「大苦心いたし候」。
第5巻の初校ゲラが届いてから校了まで約50日。馬琴が校正に「大苦心」した八犬伝第8輯下帙も、ようやく発売されました。この時は江戸のみの発売で、大坂など上方では翌年正月に発売されました。八犬伝はこの後も第9輯が刊行され、天保13(1842)年に全98巻106冊で完結します。
さて、いかがだったでしょうか。昔の校正の様子がどのようなものだったか、詳細に分かる資料は多くありません。馬琴が残した日記や手紙は、江戸時代の校正事情を知る手がかりとして大変貴重です。馬琴が校正に懸ける情熱やその苦労が「肉声」として聞こえてくる気がしませんか?
参考にした史料
柴田光彦新訂増補「曲亭馬琴日記」中央公論新社
柴田光彦・神田正行編「馬琴書翰集成」八木書店
【森憧太郎、写真も】