2018年は、平成30年の節目であると同時に改元の前年、また明治改元から150年と、いつになく元号が注目される年になりました。しかし、紙面での元号の扱いには悩む場合もしばしばです。
赤穂浪士の討ち入りは元禄15年12月14日。西暦なら?
原則からいうと、毎日新聞では記事中の年号は西暦を使うことにしています。たとえば「大正12年は今から何年前?」と聞かれても即答できる人は多くないのではないでしょうか。
数え方としても、いったん西暦に置き換えて、大正12年は1923年だから今から95年前、とするのが普通のはず。であれば最初から西暦で表記する方が面倒も少なく分かりやすい。一般の報道には西暦の方が便利と言ってよいでしょう。
もちろん必要な場合、特に明治より前の歴史的事項が取り上げられる場合などには、元号も登場します。とはいえ「永享2年」のような年号をいきなり示されてもピンときません。原則通りに西暦を書いた上で、元号を併記する「1430(永享2)年」のような形になります。
なります、とあっさり書いてしまったものの、悩むのはここです。お気づきかもしれませんが、太陰太陽暦の旧暦の年号と、太陽暦の新暦(西暦)は完全には一致しません。
2018年は2月16日が旧暦の元日
2018年の場合で言うと、手元のカレンダーでは、1月1日は旧暦の11月15日。まだ前年ということになります。2月16日が旧暦1月1日で、1カ月半のギャップが生じます。この旧暦と新暦のギャップ期間に歴史的な事件が起きることもあるわけで、そうした場合に年号をどう表記するかが悩みの種になっているのです。
有名な例でいえば「忠臣蔵」で知られる元禄赤穂事件。1702(元禄15)年12月14日という討ち入りの日が知られていますが、これは旧暦の日付をそのまま用いたものです。新暦で書くと1703年1月30日。しかし12月14日という日付が人々に浸透しており、その日に祭礼などが行われることを考えても、日付を新暦に直してしまうことは理解を得にくいと思います。
正確を期すなら「元禄15年12月14日(1703年1月30日)」という書き方もできますが、煩雑であることは否めません。結局、期間の大部分が重なることを理由として、多くの場合は「元禄15年=1702年」と機械的に置き換えるという運用になっています。
2003年12月14日の本紙コラム「余録」
しかし、今年の正月用特集紙面で困りました。大河ドラマ「西郷どん」の記事に付された年表で
1828(文政10)年 西郷吉之助(隆盛)誕生
30( 13)年 大久保正助(利通)誕生
という形になったのです。西暦は2年違いなのに、元号では3年違い。ミスのようにも見えますが、これも旧暦と新暦のギャップによるものです。
西郷隆盛は文政10年12月7日(1828年1月23日)生まれ。大久保利通は文政13年8月10日(1830年9月26日)生まれ。このように詳細に書けば誤解は招かないだろうと思いますが……。
通常なら西郷の生年を1827年とするところで、「広辞苑」のように記述の簡潔な辞典・事典類も同様の方針をとっています。
隆盛を1827年生まれとしている広辞苑(第6版)。月・日のずれは無視すると明記している(左)
しかし、出稿部の「NHKの資料が1828年であり、根拠が無いわけではないのだからそれに合わせたい」という意向もあって、上記の形のまま紙面に掲載されました。
紙面作りにおいては、分かりやすさと正確さの両方を追求することを心がけねばならないのですが、このような例では、いずれにせよ割り切れない感じが残ることになります。実際にどのような書き方がよいのか、そのつど試行錯誤しています。
【大竹史也】