先月末、東京・柴又の「寅さん記念館」を見に行った。映画「男はつらいよ」シリーズの舞台を再現しただんご屋のセットをはじめ、実物資料や模型など、1997年の開館以来5度もリニューアルしたという展示の充実ぶりに感じ入った。
広辞苑(第5版以降)に「男はつらいよ」、日本国語大辞典(第2版)に「寅さん」の項目が立つほどの国民的映画だけあって、新聞記事でもよく有名な場面やせりふの引用を目にする。校閲記者になるまでは関心がなかったが、あるとき素養のひとつと割り切って第1作から見始めると、のめり込んでしまった。原稿での引用が正確でないと許せなくなるのは、職務よりファンとしての気持ちが強い。
例えばこんなことがあった。翌日に使う原稿に出てきたのは、寅さんに、悩みを抱えたおいが「人間は何のために生きてんのかなあ」と問う場面。ああ第39作か、あれは味わい深いねと思い出しながら赤ペンを握ると……え? おいの悩みは大学受験失敗と失恋なんて書いてあるが、受験の結果が分かるのは第41作、恋が描かれるのは42作からのはずだ。それに「江戸川の土手を歩きながら」ではなく、柴又駅前での立ち話だった気がする。確証がつかめないので、帰宅後にビデオを見返して職場に連絡。直しは間に合った。
しかし時間がないときは、こうはいかない。ある日のコラムは格差社会を論じる内容で、第7作の冒頭、集団就職へ出発する若者たちを寅さんが励ます場面を引いていた。「青森県津軽地方の駅で汽車を待つ寅さん」とある。いや、津軽に関わりの深い作品だが冒頭シーンは別ではと指摘し、「新潟の駅」に直って紙面化。それはよかったが、1年以上経た今、再度鑑賞して驚く。コラムの「行き先を聞かれ、東京と答える男の子」というのは女の子が正解のようだ。そこまでは気づかないよ、マニアじゃないんだから!
気を取り直して関連書をいくつか手にしてみると、たしかにその場面について女の子と明記したものもあった。ただしその本にも不正確な箇所が目につくといった具合で、全面的に頼れる資料は意外なほど少ないと感じる。いっそ「アバウトさを容認するところから、寅さんの、えもいわれぬ魅惑の世界は開けてくる」(吉村英夫著「山田洋次と寅さんの世界」)と達観するのも、ファンとして優れた態度かもしれない。
記念館の話に戻る。展示をよく見れば、解説パネルに所々修正の跡がある。受付で話をきくと、客の指摘でなく、自分たちで誤りを見つけては直しているのだと誇らしそうな答え。背筋が伸びる思いである。やはり職務としては、へたに達観せず、可能なかぎり正確さを追い求めたい。江戸川の土手を歩きながら、志を新たにした。
【宮城理志】