毎日新聞紙面で連載している「毎日ことば」が1000回となりました。この機会に、以前出した「二の舞いを踏む」について、読者から疑義が出されたことをご報告します。大岡信さんは、二の舞いは「演じる」ものだと主張していましたが、文化庁でも割れているようです。
毎日新聞朝刊の1面と「この新聞のどこか」に毎日連載している「毎日ことば」が1000回となりました。
このサイトの「毎日ことばplus」とは別に、新聞連載は2021年7月1日に始まり、当サイトでも新聞掲載と同日に転載しています。
目次
校閲記者が執筆、新聞に毎日掲載
このサイトを継続して見てくださっている方には説明不要でしょうが、内容は
・漢字の「読み方は…」
・誤字などを入れた文章の「どこを直す?」
・漢字や記号などの「由来は…」
・揺れる言葉についてこのサイトのアンケートの結果を短く伝える
――で、いずれも校閲記者が書いています。
このサイトから入れば「解説」は無料の会員登録をすればお読みになることができます。この解説はクイズの正解というより、短いスペースながら面白くてためになる情報をできるだけ入れるようにしているので、例えば「読み方」が分かる方にもお読みいただければ幸いです。
書くのが校閲記者なら、校閲するのももちろん別の校閲記者です。私も筆者の一人ですが、校閲だからといって間違いがない原稿を書いているかというと全くそんなことはなく、同僚の鋭い指摘にずいぶん助けられてきました。
しかし、紙面化された表現に対し、読者から指摘を受けることがまれにあります。今回はその中から慣用句の「二の舞い」についてご報告します。
「二の舞いを踏む」を誤りとする辞書も
これは2024年1月11日掲載です。対応する「解説」は次の通りです。
◇舞いは「演じる」
「前の人と同じ失敗をする」という意味のことわざは、二の舞いを「踏む」ではなく「演じる」。「尻込みする」という意味の「二の足を踏む」との混用が考えられます。入試に挑む皆さん、自分に自信を持って頑張ってきてください。
この「二の舞いを踏む」を、明鏡国語辞典3版(2021年)は「二の舞い」の注釈で「誤り」としています。「どこを直す?」もこれを踏まえているのです。
また、日本語口語表現辞典(研究社、2020年)でも《使い方》として「だ、になる、をする、を演じる」を挙げ、「『二の舞を踏む』は誤りである」と明言。現代国語例解辞典5版(2016年)には「『二の舞を踏む』は『二の足を踏む』との混交から」と注釈されます。
しかし、実は毎日新聞用語集でも1996年から「二の舞いを踏む・繰り返す→二の舞いを演ずる」という項が「誤りやすい慣用語句」として挙げられていたのですが、2019年の改訂で削除されました。必ずしも誤りといえないのではないかという意見が出たからだと記憶します。
大岡信さんも誤用としているが…
とはいうものの、誤りという見解があるのも事実です。例えば「日本語相談」(朝日新聞社、1992年)で大岡信さんはこう書いています。
「二の舞」は「演ずる」ものであって「踏む」ものではありません。
言うまでもなく、「二の舞を演ずる」が昔からの普通の用法であり、また正しい用法です。「舞」という語に「踏む」という動詞はなじみません。「二の舞を踏む」という言い方は、もちろん「二の足を踏む」との混用から生じた誤った言い回しでしょう。
そして、大辞林の初版の用例に「二の舞を踏む」があったけれど約1年後の第16刷に「―を演ずる」に改められたことを挙げています。
ですから、自社用語集から削除されたからとはいえ全面的に使ってよいとは必ずしもいえないでしょう。「どこを直す?」というテーマで「二の舞いを踏む」を出すこと自体は止められないと思いました。
ただこの原稿で当初「誤用」とあり、誤りとはっきり書くのはどうかと思って「『二の足を踏む』との混用」ぐらいの方がいいのではと提案し、「混用」となったという経緯があります。
「~踏む」も「~演じる」も使われていた
しかし掲載後、「岩波ことわざ辞典」など、ことわざについて多くの著書をものしている時田昌瑞さんからメールが来ました。古典から現代まで独自に収集している膨大なことわざの用例から「二の舞」について挙げてくださいました。要点だけ紹介すると
・「二の舞」単独の形が古くから主流であるものの、述語を伴うものは「二の舞をやる」「~をやらかす」「~をする」「~を踏む」「~を演ず(じ)る」。
・例えば織田作之助の場合、4回も「踏む」を使っているばかりでなく「演じる」も使っている
――とのことです。要するに「二の舞いを踏む」も以前から使われており間違いではないということです。
私も調べると、確かに「踏む」も「演じる」と同じくらい使われていました。1952年の壺井栄の名作「二十四の瞳」では3度も続けて「二の舞いふみたくない」「二の舞いふませたくない」「二の舞いふんだら」と出てきます。
大岡信さんはいうまでもなく朝日新聞連載の「折々のうた」などで知られた博覧強記の詩人ですが、頭から「踏む」はありえないという前提に立っていて、なぜ駄目なのかという検証がありません。
この「日本語相談」が出版されたのとほぼ同時期に出ていた「日本語誤用・慣用小辞典」(国広哲弥著、講談社現代新書、1991年)では、
「二の舞いを」と来れば、「演ずる」、「踏む」と続けるのが決まったいい方である。
として、「踏む」も「演ずる」と同列に扱い「誤用」とはしていません。
1988年2刷発行の文化庁「『ことば』シリーズ19 言葉に関する問答集」でも割れています。
「二の舞を踏む」という言い方は、おそらく「二の舞を演ずる」と「二の足を踏む」との混淆(こんこう、コンタミネーション)による誤用であろう
とある後の「付記」で
「太平楽をふむ」「拍子をふむ」という用法が古くあったことを考え合わせると、「二の舞をふむ」という言い方も、あながち誤用とは言えない
となっているのです。
神永暁さんのウェブコラム「日本語、どうでしょう?」(本は「悩ましい国語辞典」所収)に教えられましたが、大槻文彦「大言海」(1932~37年)では「案摩(あま)」の解説中にこうあります。
俗ニ、笑(ワラヒ)あま、泣あまト云フ、其舞フ手振、足振、案摩ヲ真似テ、真似得ザル状ナリ。世ニ、前人ノ所為ヲ、徒ラニ真似テスルヲ、二舞(ニノマヒ)を踏むト云フ、是レナリ。
神永さんは推測します。
大槻文彦は『大言海』の中で「二の舞を演じる」には一言も触れていないので、そもそも「二の舞を踏む」だけを使っていたのかもしれない。また、文中「世に」とあるので、「二の舞を踏む」のほうが一般的であると思っていた節もある。
現実問題としての「現在地」
「誤用」の判断は難しいものがあります。世間で多く使われていても、それだけで正しいとはいえないように、誤っていると見なすのも十分検討することが必要です。
「新聞のような公的な性格がある媒体では紙面に責任がありますので、根拠が不確かなものは避けた方がよい」と時田さんもアドバイスしてくれました。
とはいえ、間違いとはいえないことは分かったうえで、複数の言い方があり、何の問題もなく使われている別の表現があるならば、そちらを選んだ方が現実問題としては無難ともいえるのではないでしょうか。
だからこの欄には「どこが間違い?」ではなく「どこを直す?」とあります。ただし、解説では「二の舞いを踏む」も使われていますが混用とする向きもあります……などの補足は必要だったかと思いました。
「どこを直す?」は、明らかに間違いとみなされる出題がほとんどです。でも、今は明らかな間違いと思っても、未来でもそうとは限りません。あくまでも新聞として直した方がよい表現の「現在地」なのです。
ちなみに、今年3月に出た「読売新聞用字用語の手引」第7版ではこうあります。
「二の舞いを踏む」は「二の足を踏む」との混同ともされるが、「踏む」には「舞う」の意味もある。ただし、一般的には「二の舞いを演じる」「二の舞いになる」を使う。
最後に取って付けますが、今後もサイトの「毎日ことばplus」ともども、新聞版の「毎日ことば」をよろしくお願いします。第1000回の漢字は「千思万考」。この解説でもさりげなく(?)舞台裏の苦労をアピールしてしまっています。
【岩佐義樹】