「そんなことも知らないの?」。面と向かって言われることこそ少ないかもしれないが、誰しも一度くらいは心の中で思ったり、思われたりしていることだろう。だが、どんなにささいなことであれ、興味がない分野や自分の身近な問題でなければ一生知らないことがあってもおかしくはない。ただ、校閲の現場ではいっそ事前に「知らないです!」と言ってしまった方が正確な紙面を作る上でどんなに間違いが減るかと思うことばかりだ。たとえ恥をかいたとしても。
夕刊で大阪ミナミにあふれる放置自転車問題を解決するため、今夏地元商店会などが実験的に道頓堀の路上にオープンカフェをつくろうと計画しているという記事につく地図を校閲していた時のことだ。道頓堀川にかかる橋の名前が「戒橋」となっていた。正しくは「戎橋(えびすばし)」。付近にはグリコの巨大看板やかに道楽があり、大阪に住む人には認知度は高い。「えびすばし」とパソコンで入力すれば「戒」という漢字に変換されることはないはずなので、地図を作製する過程で読み方が分からず似た字で変換したのではと推測する。
同じ記事に出てきた「千日前通り」。一般的には「通り」と補うが、固有名詞と見なして過去の記事でも「り」をつけている例の方が少ないので、「千日前通」とした。何を当たり前のことをと思われる方もいるだろう。だが、例えば、大阪では原則南北方向に延びるものを「筋(すじ)」、東西方向に延びるものを「通(とおり)」と呼ぶが、私も含め東京に長年住んでいると「~筋」という呼び方に慣れない。学生の頃の友人も面白おかしく言ったのかもしれないが「みどうきん」と言っていた。逆に東京に縁がない人だと「東京都世田ケ谷区」と書いてあってもすぐには間違いと気づかなかったりする。(正しくは「東京都世田谷区」)
こういった固有名詞には細心の注意を払うのが鉄則であるにもかかわらず、こんな間違いも発生する。大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公の兄でもある「吉田松陰」が「吉田松蔭」となっていた。しかも8カ所ほど出てくる全てが「松蔭」。今考えると1カ所でも正しい字が入っていれば、誰かがどちらの字が正しいのだろうと疑問に思い確認したかもしれないが、まんまとだまされスルーしてしまった。締め切り時間ぎりぎりに改めて確認して気づき正しく直ったが、「くさかんむりがある方が何となく雰囲気があったので気づかなかった」と謝る筆者の言葉に「私も実は……」と心の中で恐縮する事態に。校閲を仕事としている以上、大体そんな感じだよねという雰囲気で言葉を捉えてしまうことがいかに怖いかを時に痛感させられる。
ちなみに冒頭の記事の話に戻ると、読者は改めて意識することはないと思うが、私にとっての大きな問題は道頓堀にオープンカフェができるというこの記事、紙面化されている新聞を読むのは大阪本社管内が管轄する地域にお住まいの読者だけだということである。例えば東京本社では同じ日の紙面でこの記事は扱われていない。住んでいる地域のご当地ネタが多いのは読者も親近感がわくので当たり前ともいえるのだが、夕刊は特に地元に絡む内容の記事が多い。当然、今はインターネット上で全国の記事が読めてしまうので、地域に関係なくどんな間違いも未然に防ぐべきなのだが、紙の新聞で地元の人たちが慣れ親しんでいる物事を間違えるのは情けないし、失礼にあたると思う。私が東京で今までの人生の大半を過ごしてきたことなど大阪本社管内の読者には関係のないことなのだから。
思い起こせば3年前、入社1カ月前にドキドキしながら職場を見学に来たのも夕刊の時間帯だった。その時先輩に「夕刊は特によく売れているから、やわらかい(読みやすい)内容の記事が多いんだよ」と教えてもらったことを思い出した。地元の読者の目は絶対にごまかせない。一方で、ずっと東京に住んでいる友人なら一生知りえないような小さなことを日々頭に蓄積していけることはとても楽しく貴重なことだと感じる。東京で幼稚園の年長から大学まで18年間過ごした私が大阪本社配属になり3年、改めて幸せだなと感じる今日このごろである。
【松本允】