一般の方々の名前は、ネットに本名が出ていない限り、間違いを発見するのは不可能と思われるかもしれません。しかし「こんな下の名前はありえないはず」と疑問を出すことはできます。事実、膨大な人名リストから誤字を発見した実例もあります。
校閲の閲は「一つ一つ調べること」を表します。しかし新聞の校閲などをしていると、時に膨大な人名リストを元資料なく、急いで「素読み」による点検をせざるをえないこともあります。そういう時、何を頼りにすればよいのでしょう。
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「珠洲市」が「珠州市」に間違っていた
2月2日の毎日新聞と毎日小学生新聞には、青少年読書感想文全国コンクールの受賞作と入賞者の発表がありました。その一つ、内閣総理大臣賞に選ばれたのは、石川県珠洲市立飯田小学校の5年生でした。
アフガニスタンに尽くした中村哲医師の伝記の感想文ですが、昨年5月に珠洲市を襲った震度6強の地震にも触れられています。私が読んでも非の打ちどころのない感想文でした。
一読後、つまり今回の能登半島地震が起こってしまってから痛切に思うのは、昨年5月の地震も相当な被害だったのに、国や我々マスコミは何をしていたのだろうということです。結果論ではありますが、次の大地震に備える対策を講じるよう真剣に対処すべきではなかったか。
そんな後ろめたさもあってか、今年これが選ばれたのには、どこかに時事性や情実がからんでいやしないかと、下世話な疑いがよぎりました。
調べると、飯田小は2021年から3年連続で入賞以上、特に21年は石川県の受賞小学生6人のうち3人も受賞者を出しています。学校として読書感想文コンクールに力を入れる強豪校であることがうかがえます。被災地だからと特別に選ばれたわけではなく、あくまでも感想文の下地があってのことだと納得できました。
さて、毎日新聞データベースを追っていくと、1999年の感想文受賞者リストにはこんな記述がありました。
珠州市立宝立小4年
ああ、やってしまっている。珠洲市の「洲」が「州」と誤っていました。
「羽咋市」も「羽昨市」と誤りやすい
受賞者リストは膨大です。入念にチェックはしますが、間違いが紙面化されることはゼロではありません。
州と洲はほぼ同じ意味を持ちますが、別の字です。州は常用漢字、洲は人名用漢字に選ばれています。実は1956年の国語審議会報告「同音の漢字による書きかえ」の一つとして
洲→州
が掲げられています。新聞ではそれに従い、例えば普通名詞「中洲(なかす)」は「中州」と書きかえています。しかし固有名詞はもちろん使い分けなければなりません。例えば福岡市博多区の歓楽街は「中洲」です。
ちなみに、現在の市名で「州」の字を使うのは「岩手県奥州市」「山梨県甲州市」「福岡県北九州市」「鹿児島県南九州市」の4市、「洲」は「石川県珠洲市」「滋賀県野洲市」「兵庫県洲本市」「愛媛県大洲市」の4市です。これだけなら覚えられそうですが、曖昧な記憶に頼るよりは、時間の許す限り資料で確認すべきです。
子供の名前は子供自身が書いた原稿がないと校閲としては誤字発見は至難の業なのですが、市の名前は調べる手段が当時もいろいろあったはず。あまりの多さにチェックがついおろそかになったとしたら残念です。もし全部の学校名を調べることができないとしても、知らない市町村名、州と洲など間違えやすい漢字などだけでも調べていればと思います。
今回の被災地でいえば、「羽昨市」という間違いにも気を付けなければなりません。「羽咋市」が正しく「はくいし」と読みます。「くい」だけに「くちへん」の「咋」が使われています。間違いの原因として、読み方を知らず「は、さく、し」と入力していることが考えられます。「すずし」もそうですが、正確な読み方で入力すると必ず正しい字が出てくるはず。ちなみに、今の毎日新聞用語集には全国市町村名が読み仮名とともに載っています。
「人名用漢字」という手段
さて、子供の名前の間違いを照合資料なしで(いわゆる「素読み」で)見つけるのは難しいと書きましたが、実は一つだけ手段があります。
人名用漢字という枠に当てはまるかどうかです。
子供に使える漢字には、戸籍法で決められた制限があります。だから、「こんな字は子供の名前として役所が認めないのでは? 似た字の誤りではないか」という疑問を持つことはできるのです。
例えば、「祟」という字は「たたり」と読むので常識的にも子供の名前につけるだろうかという疑問を抱くこともできますが、一歩進めて人名用漢字に入っていないことを調べたうえだと、堂々と「この字は子供の名前として認められないので、『崇』の誤りでは」と指摘することができます。他にも
「晧」は「皓」の間違いでは?(ともに「コウ」と読む)
「籃」は「藍」では?(籃は「ラン、かご」、藍は「ラン、あい」と読む)
「莢」は「萊」では?(莢は「キョウ、さや」、萊は「ライ」と読む)
――などと指摘することが可能です。
子の名「絋」は「紘」が正しかった
実際、今回の感想文受賞者リストにも、「絋」という字が入っている名前がありました。この字は見慣れないが人名用漢字にあるだろうかと、法務省の人名用漢字リストを確認しますが、見当たりません。もしかしたら「紘」ではないかと指摘し、当たりました。
糸偏に「広」の「絋」は、「纊」の略字なのですが、「わた」の意味があります。新潮日本語漢字辞典によると「属纊(しょっこう、ぞっこう)」という熟語があり(=臨終。昔、中国で死にかかった人の口や鼻に綿をつけて息の有無を確かめたことから)とされています。ちょっと子供の名にふさわしくなさそうな使い方ですね。小池和夫さんも「異体字の世界」(河出文庫)で、ある生命保険会社のリストの名前にあった「絋」の字を「人名用漢字にある紘の誤字でしょう」と書いています。
ちなみに「紘」の字は、戦時中の「八紘一宇」というスローガンに使われた歴史があり、その影響かどうか不明ですが、1939年生まれの政治家、加藤紘一さんや、44年生まれのピアニスト、中村紘子さんなど、戦中生まれの名前には少なからず見られます。戦後しばらく、子の名前には使えなくなりますが、76年に人名用漢字に入りました。例えばアニメ「カレイドスター」で名を上げ「鬼滅の刃」で押しも押されもせぬ人気になった声優、下野紘(しもの・ひろ)さんは80年生まれです。
生まれ年との照合で誤りが分かる
つまり、生まれ年と下の名前が分かれば、この生年にこの字はないということも分かるわけです。例えば「紘」と似た字のもう一つに「絃」があります。これは1990年に人名用漢字になりました。ということは、例えば2024年に「40歳」の人名で「絃子」が出てくるとすると、生まれた時はまだ絃という字は認められていなかったので「紘子」の誤りか、または年齢の誤りではないかと指摘することができます。
しかし、法務省の人名用漢字表は何年に入ったかが書いてありません。そこで毎日新聞用語集の「人名用漢字・印刷標準字体」というページには、人名用漢字に入った年を「76」「04」などと付記しています(それぞれ1974年、2004年)。
実際に素読みで膨大な人名リストをチェックする際、大抵は時間に押されます(そもそも時間があれば照合用資料をもらって確認するのが確実な校閲です)。だから一つ一つ人名に使える漢字かどうか調べるひまはありません。ただ、「これは見たことがない字だ、怪しい」と思った字だけでも調べていくと、必ず役に立つ時があります。
判読の難しい手書きの原稿を入力する際にも、「この字だとすると使えないのでこっちではないか」と判断することができそうです。ぜひ毎日新聞の人名用漢字リストをご活用ください。有料会員になっていただく必要がありますが……。
【岩佐義樹】