連日クマによる被害が記事になっています。漢字「熊」は常用漢字ですので新聞でも漢字で書けますが、片仮名が多いですよね。一方、奈良のシカの虐待についての記事では漢字の「鹿」と書かれていました。その違いについて、奈良の鹿にまつわる悲しい伝説とともにお伝えします。
クマによる被害が毎日ニュースになっていますね。この「クマ」の表記について、漢字の「熊」にすべきか尋ねられました。毎日新聞用語集に「熊」が掲げられており、その人は漢字で書くのが決まりと解釈したそうです。
毎日新聞用語集の冒頭にも記されていますが、「漢字書きのものは、漢字で書けることを示したもので、漢字で書かなければならないということではない」のです。しかも、用語集の別の部分には「動植物名は原則として片仮名で書く」とも書かれています。したがって「クマ」で大丈夫と納得してもらいました。
しかし、その後に動物のシカが「鹿」と漢字の記事が出てきて、それはそれでOKだけれど、なぜクマは片仮名で鹿は漢字なのか、その違いについて考えてみました。
目次
シカはクマより漢字使用が多い傾向
まず「熊」も「鹿」も、2010年に常用漢字表に追加された漢字ということを押さえておきましょう。それ以前は漢字の原稿が来れば問答無用で片仮名に直していたのですが、仮名書きは選択肢の一つになってしまいました。
先ほど、用語集には「動植物名は原則として片仮名で書く」とあると書きましたが、実は続きがあり「ただし毎日漢字で表せるものは漢字書きでよい」。この「毎日漢字」というのは毎日新聞で使用可能な漢字という意味で、だいたい常用漢字表と一致しています。その中に熊も鹿もあるので、問題なく漢字を使ってもよいということになります。
ちなみに2010年に常用漢字の仲間入りした動物には「亀」「鶴」「駒」「虎」「蜂」もあります。ただし、これらの追加常用漢字と「熊」「鹿」が少し性格が違うのは、この二つは都道府県名に含まれる字ということです。今は小学校4年生で全都道府県を漢字で書けるように教育する方針のようで、実際私の子どももテストで書いていました。
ということで、子どもも漢字に目が慣れている点でも同じ条件の「熊」「鹿」ですが、漢字か仮名かの選択では微妙に違いがあるようです。
毎日新聞の使用状況を調べようと思いましたが、どうしても動物以外の言葉が入ってしまうので正確な件数を出すのは困難です。そこでかなり限定されますが「による被害」を付けて検索しました。「熊による被害」2件、「クマによる被害」43件に対し「鹿による被害」8件、「シカによる被害」40件(地域面も含めた2010年11月以降の数字)。ともに片仮名が圧倒していますが、シカについてはクマより漢字の使用頻度が高くなる傾向にあります。
熊の音読み熟語はほぼ使われず
なぜでしょう。私が考えたのは、シカは「神鹿(しんろく)」という音読み熟語があるように漢字との密接なつながりがあるのに対し、クマは固有名詞以外ではそれほど漢字に必然性がないことです。クマも熊害(ゆうがい)、熊掌(ゆうしょう)という音読み熟語はありますが、めったに使われません。
鹿の音読みも頻出するわけではありませんが、11月7日の記事には「鹿苑」が出てきました。
奈良県は6日、奈良市内で農作物を荒らした鹿を捕獲・収容する「特別柵」で、餌の栄養不足など、飼育環境に不適切な点が複数見つかったと明らかにした。柵内の鹿が飢餓状態で虐待されているとの通報を受け、調査していた。
特別柵は、奈良公園(奈良市)の鹿の保護施設「鹿苑(ろくえん)」内にある。鹿苑は県から委託を受けた一般財団法人「奈良の鹿愛護会」が管理・運営している。奈良公園付近は鹿の保護地区に設定され駆除が厳しく禁じられている一方、公園から遠いゾーンは獣害対策として駆除が許可されることもある。特別柵に入れられるのは、この境界となる「緩衝地区」に生息する鹿。農作物に食害を及ぼす一方、保護地区の鹿の可能性もあり、緩衝地区で捕獲された鹿は特別柵の中で一生を送る。
奈良などの鹿は「神鹿=神の使い」とされ、単なる動物以上の存在とされることもあるのに対し、熊はアイヌ以外では恐れられる対象でこそあれ、漢字で書いて神格を与えるようなこともなかったようです。その違いは今も漢字か片仮名かの選択に微妙に影響しているように思うのです。
ただ、念のために言い添えると、「シカ」より「鹿」の方が適切な表記だと言いたいのではありませんし、「熊」と書けないわけでもありません。
自動販売機が鹿保護の募金箱に
以上、漢字と仮名に関する考察でした。ここから先は、奈良の鹿が歴史的にいかに保護されてきたかがうかがえる史跡を訪れた、個人的な体験からお伝えします。
今年5月に久しぶりに奈良公園を訪れると、コロナウイルスによる影響はすっかり収まっているらしく、修学旅行生と外国人旅行客でにぎわっていました。鹿せんべいを与える観光客におじぎをする姿も見られ、ほほえましく癒やされる思いに満たされました。
鹿はそのつぶらな瞳で何か訴えているようにも、人間たちを観察して思索にふけっているようにも見え、本当は何も考えていないにしても、そのように思わせてしまう不思議なたたずまいがあります。
先の引用記事に出てくる「鹿苑」も外だけ見てきました。中の鹿は元気そうにしていましたが、これはたぶん虐待が問題になった柵ではないのでしょう。
鹿苑にある自動販売機がなんと、鹿保護のための募金箱になっていました。ボタンを押しても何も出てきません。10円だけ寄付しました。せこい。
その後、興福寺五重塔の脇をぶらぶらしていると、「伝説三作石子詰之旧跡」という木の標柱が目に飛びこんできました。「おお、これは!」。実はこの時の奈良は講演のためでしたが、この伝説のことはあるきっかけで知り、行ければいいなと思っていたのです。とはいえあらかじめ真剣に場所を調べていたわけではなく、偶然行き着いたのでした。いや偶然ではなく鹿へのお布施の御利益があったのかもしれない! そう思って後で「鹿苑」に戻って50円の追加寄付をしました……やっぱりせこい。
しかと見た…悲惨な伝説の舞台
さてこの旧跡の場所は「興福寺菩提院大御堂」という興福寺の子院ですが、残念、扉が閉まっています。しかし何と幸い、ちょうど巡回とおぼしき人が出てくるではありませんか。
「あの、ここ入れないのですか」「いえ、この扉は鹿が入ってこないようにするためで、出るときちゃんと閉めてくれれば大丈夫です」
さすが奈良の鹿、信心深い? それはともかく中に入ると、目当ての伝説を伝える立て札がありました。
文中「井戸を堀り」とあるのは「掘り」が正しいと校閲として気になってしまうことはともかく、かいつまんで言うと、誤って鹿を殺してしまった13歳の「三作」少年が生き埋めの刑に処せられたということです。なんと可哀そうなことでしょう。お母さんの悲しみも察するに余りあります。事実かどうかはともかく、昔は残酷なまでに厳しい罰則付きで鹿が保護されていたことがうかがえます。
この後に続く文章によると、奈良の人は自分の家の所で鹿が死んでいると大ごとになるので、早起きして確認するようになり、皆が早起きになったとのことです。このいわれは落語「鹿政談」のねたになりました。一説に「早起きは三文の徳」の語源ともいわれます。
立て札の奥には、石の亀の上に供養塔があります。「次に生まれるときは亀のように長生きできるように」との願いが込められているそうです。
鹿を神の使いとして大切にするのはいいですが、人間の、それも子供の命を奪うというのは現代では信じられないくらい行き過ぎです。
それにつけても今疑問なのは、クマを好きなあまりクマを駆除するハンターや役所に抗議する都会人がいることです。もし自分の子供が傷付けられても同じことが言えるのでしょうか。
願わくはクマも、奈良公園の鹿のように人間との和やかな共存、とまではいかなくとも、お互いの領域を侵犯しない関係が保てればよいのですが。
【岩佐義樹】