漫画の校閲は新聞記事とは全く違ったチェックポイントが多く、なかなか大変です。飼い猫のしっぽがあり得ないほど長く伸びているとか、登場人物の名前が違っているとか。辞書に載っていない俗語の扱いも難しいものがあります。
新聞に載る漫画の校閲は、一般記事とは全く違う注意が求められます。
目次
左前は死に装束
絵が中心ですので、例えば
いつも右利きの人が左手にペンを持っていないか、とか
服の合わせ目が左前になっていないか(左前は死に装束としばしば指摘されます。向かって見てyの字になっているとOK)とか
鏡に映った姿が正しく反転しているか、とか
同じ場面なのに服の柄が変わっていないか、とか、
さまざまなチェックポイントがあります。
しかし、読者の方が一枚上手ということも。飼い猫のしっぽが短かったのがいつの間にか長く伸びていることを読者に指摘され、漫画家がそれを自虐ネタにしたこともありました。
初めから名を間違えられた主人公って
もちろん、字も要注意です。手書き文字では、例えば「ガーン」が「ガーソ」にしか見えない場合、書き直しをお願いすることもあります。
連載漫画では登場人物の名前が違っていないかも確認しなければなりません。私もキャラクターの顔と名前を記したリストと突き合わせ、何度か取り違いを指摘したことがあります。
しかし、架空の名前を連載の最初から間違っていると発見はまず無理。ある雑誌に連載された漫画の単行本2巻巻末ではこんな告白がありました。
主人公、滝沢君の名前が途中で「正宗」から「政宗」に変わっていることに気づいた編集者が「間違えてますよ」と指摘します。
漫画家「伊達政宗から取ったからいいのよ」
編集者「今までの表記はすべて『正宗』ですが」
漫画家「うわっ本当だ 全ッ然気付かなかった」
結局「政宗」で統一しました――とありました。持っていた1巻を見て「これはまだ直っていない」と確認したことはいうまでもありません。
最初から間違えられたら発見はまず無理と書きましたが、このケースでは実はヒントはありました。登場人物リストに「萩野月子」とか「松島」とか「岩沼」とか、どうやらすべて宮城県にちなむ地名や名物ばかり。そして戦国武将で人気の高い伊達政宗は、正宗と間違えられやすいとして校閲ではよく知られます。最初に登場人物のリストを見て、ぴんときた編集者や校閲者がいて「正はもしかして、伊達政宗の政の間違いではないでしょうね」と確認していれば防げた誤りだったということです。
「一生やってる」は間違い?
さて、漫画では流行語や砕けた表現がよく出てきます。1968~73年(今年で完結からちょうど50年です)連載の「あしたのジョー」には「わかりる?」というせりふがあります。これは今の若い読者が読むと「誤植では?」と思ってしまうのではないでしょうか。当時はそういう言い回しがはやっていたのです。ちなみに63年生まれの私は「わかりいる?」と覚えていました。今は「わかりみ」という言い回しがはやっていますが、50年後も言っていますかね。
最近、私が校閲したある漫画にこういうせりふがありました。
「一生ササの飾りの配置をいじってるわ」
この「一生」の使い方、ご存じでしょうか。ここでは「ずっとそうしている」くらいの意味なのです。私もつい最近まで知りませんでしたが、「毎日小学生新聞」の飯間浩明さんの連載「日本語どんぶらこ」にあったので分かりました。
2021年ごろから、次のような言い方をする人が増えています。「友だちとお祭りに行って、たこ焼きとかクレープとか、一生食べてた」「きょうはねむくて一生ねてた」
私はこの使い方がさっそく出てきたぞと思いましたが、これをそのまま新聞に載せるべきかというとためらわれます。担当者に「間違いではないと承知はしていますが、間違いと読者に思われる危険性はあります」と伝えました。結局そのまま掲載されましたが、やはり「なにかの間違いでは?」という問い合わせが来たと後で聞かされました。
この「一生」は、飯間さんが編集に携わっている三省堂国語辞典第8版にも出てこない使い方です。22年1月発行の版ですから、それに載せるほど用例が集まっていなかったのでしょう。でもきっと飯間さんは次の改訂で入れるべく用例を採集しているに違いありません。その例の一つに私がかかわった漫画部分があり、近い将来の国語辞典に「一生」の使い方の拡大として載る日が来るとすると……個人的にはイヤだなあ。
【岩佐義樹】
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