毎日新聞では「干支」を「えと」と仮名で表記しています。なぜでしょう。語源的には「えと」は甲乙丙丁……の十干の方でしたが、現代日本語としては十二支のうち「年」限定の言葉に変わりました。筆者の黒歴史ならぬ「墨歴史」とともに詳しく解説します。
先週のブログ「なぜ『ウサギ年』より『卯年』と書いた方がよいのか」に対し、三省堂国語辞典の編者の一人、飯間浩明さんから心のこもったメッセージをいただきました。ありがとうございます。
ただし――
岩佐さんとしても、一般の年賀状で「ウサギ年おめでとう!!」は不可だ、「卯年おめでとう」にせよ、とまでは主張されていないと理解しました。
というお言葉は、私にとってのちょっとした「黒歴史」というか「墨歴史」に触れるものでした。
目次
「馬年」と年賀状に書いた「墨歴史」
実は私は若い頃、年賀状に堂々と毛筆で「馬年」と書いて出したことがあるのです。後で「ああ午年と書くべきだった」と墨で塗りつぶしたい思いで真っ暗な気持ちになりました。いや、誰に言われたわけではないのですが……たとえば、当時の若い自分が一枚一枚「馬年」と書いているところに、タイムトラベルして自分自身を「自分、なに変な字書いてんだ」ととっちめてみます。
――えー? うまの年を「馬年」と書いてなにが悪いんだよ。
――あのなあ、そもそもなんで十二支の動物があるかというと、古代中国で読み書きができないような者にも暦が分かるように身近な動物を当てたかららしいぞ。でもおのれは「午」という字が書けるだろう。だったら「午年」と書くべきじゃないか。
――だって「午」をウマと読むなんて。ウシみたいな字じゃないか。
――われは小学生か。だーかーら、子(ね)、丑(うし)、寅(とら)など十二支の漢字は動物とは違うの! 動物をイメージするのは勝手だが、漢字の「馬」とか「兎」とかと「年」は結びつかないの! 年だけじゃない、土用の丑の日は「牛の日」じゃないだろ?
……などと、アドバイスする人がいてくれればよかった。個人的な話で失礼しました。
確かに「ウサギ年」が間違いとはいいにくいのですが、その表記になじんでしまうと、次は「兎年」「竜年」「鳥年」などと書くという、かつての私のような人が増えるのは予想できます。事実、NHK大河ドラマ「どうする家康」第2回で、家康の生まれ年が話題になりSNSで「兎年」と書いた人がいました。書いた結果を非難するつもりはないのですが、これから書く人の拡大は防ぎたいという思いから先のブログとなったのです。
用語集で「えと」と書くと規定
さて、先のブログでは、ある読者から別の反応として「干支」ではなく「えと」と平仮名で書いている理由を聞く質問がありました。お答えします。
この表記こそ、毎日新聞の内規によるものです。毎日新聞用語集には
えと (*干支)→えと
とあります。この記号「*」は、音読みする場合は使ってよいことを表します。つまり、「干支(かんし)」として使う場合は漢字が使えるけれど、訓読みとしての「えと」は平仮名で書きなさいという規定です。「干支(えと)」と読み仮名を使って書くことも、毎日新聞の記事としては基本的に認められません。
これは、常用漢字表の音訓に基づいて書くという基本姿勢の表れの一つです。「干」「支」の漢字にそれぞれ「え」「と」の読みは当てられていないし、当て字と思われる語なども書けるようにする常用漢字表付表にも「干支(えと)」は入っていません。
ただし、常用漢字表にない漢字も例外的に使うと決めた漢字は毎日新聞ではいくつかあります。単に国が決めた線引きに従っているわけではないのです。ではなぜ「えと」と仮名書きにするのでしょう。
干支は本来60通り
漢語としての「干支」は「十干十二支」の略です。十干は「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」、十二支はご存じ「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」。そして十干十二支は「甲子」に始まり「癸亥」で一巡する60通りの組み合わせなのです。だから60歳を「還暦」というのです(正確には数え年で61歳)。
では、なぜ「えと」というか、ご存じでしょうか。これは十干の和語としての読みが関係します。
兄を「え」と読むのは古語で、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が有名ですね。その「え」と弟の意味の「と」が以下のように交互に繰り返されるのが「えと」。順序を記しますと――。
コウ=甲=木の兄=きのえ
オツ=乙=木の弟=きのと
ヘイ=丙=火の兄=ひのえ
テイ=丁=火の弟=ひのと
ボ=戊=土の兄=つちのえ
キ=己=土の弟=つちのと
コウ=庚=金の兄=かのえ
シン=辛=金の弟=かのと
ジン=壬=水の兄=みずのえ
キ=癸=水の弟=みずのと
――となるのが語源としての「えと」です。
ここで、あれっ、えとって「十二支」のことでは?と思った方はいませんか。しかし、日本語の語源としては「えと」は十干だけを指すはずです。
「干支物語」(竹内照夫著、現代教養文庫)にはこうあります。「甲寅の生まれの人があるとすると、この人のえとは甲であって、寅のほうはえとではない。えとは十干に対する和訓(和語としての読み方)なのであり、今では十二支に対する和訓にも用いているが、厳密に言えば誤用である」
十干から十二支になった「えと」
でも、それは語源的にはそうなのでしょうが、今そういう主張がどれだけ賛同を得られるでしょうか。そもそもいつごろから今のように「えと」が十二支に変わったのでしょう。
1603年刊のポルトガル人宣教師による「日葡辞書」の邦訳には「Yetoxican エトシカン」とあり、「エト」と「カンシ」ならぬ「シカン」を組み合わせています。このころの「えと」は十干とまだ不可分の関係だったらしいことが想像されます。
しかし1776年の上田秋成「雨月物語」には「今より支干(えと)一周」という部分があります。この年数は12年とされています。この時代には「えと」が十干十二支のうちの十二支になっていたことがうかがえます。ただこの時「支干」という漢字であり、「干支」は定まった表記ではなかったようです。
前述のように十干十二支は「甲子」を「きのえね」と読むなど、年としては十干と十二支の組み合わせで使われてきました。その60通りの中では「十干」(文字通りのえと)の部分も含まれるという意味で、「えと」の意味が拡大し60種の「えと」の意味も持った時代があり、その後に十干の部分が脱落し「えと」は十二支のことになったと思われます。
こうなってはもはや「え+と」の語源から離れすぎています。しかし「干支」と表記するのも十干の実態がないので「えと」の方がまだよいと思われるのです。
歴史的な「干支」とは違う「えと」
ところで、突然ですが飯間浩明さんの「日本語をつかまえろ!」(毎日新聞出版)を紹介しましょう。
日本語をつかまえろ! | 毎日新聞出版 (mainichibooks.com)
金井真紀さんの絵と相まって、楽しい本です。続編「日本語をもっとつかまえろ!」では十二支についての話があり、例えばベトナムでは十二支にウサギの代わりにネコが入っているとのことです。十二支にネコがいない理由は? ネズミにだまされたから――ではなく、昔の中国ではネコは身近ではなかった……など、「へえ」の連続です。
日本語をもっとつかまえろ! | 毎日新聞出版 (mainichibooks.com)
宣伝はさておき、飯間さんはここで「干支」も「えと」も使わず「十二支」という表記で通しています。なるほど、当てられた動物の話をするなら「十二支」の方が正確ですね。
ただ、十二支は主に総称として使う表現なので「今年の十二支は卯(う)」などとは使いにくいのではないでしょうか。だからでしょう、飯間さんもこの本では「干支」も「えと」も避けています。その代わり、十二支は年以外にも時間、日、方角にも使うことが書かれています。もちろん昔と違って部分的ではありますが、「午後」の午、「子午線」などです。
しかし現代日本で「えと」といえば「年」に限られるようですね。例えば恵方は「えと」として扱われないし、丑の日のことを「きょうのえとは丑」とはいいません。つまり現代日本語の「えと」は歴史的な「干支」から離れた年限定の使い方といえるようです。
だから、「干支(かんし)」とは違う、年限定の表記として毎日新聞は「えと」という仮名を選択しているのです。
読者の質問がきっかけで、毎日新聞が「えと」という仮名書きを選んだ理由をこの機会に書いてみました。でも、実は質問された方もよくご存じで「十干は関係ない話で十二支と書くべきとなるから、違う言葉として『えと』とひらがなで書いている」と記し確認を求めていたのです。その一言の方が簡潔で要領を得ていますね。長々と失礼しました。
【岩佐義樹】