読めますか? テーマは〈集まる〉です。
目次
聚落
答え
しゅうらく
(正解率 41%)「集落」と同じ意味。1956年の国語審議会報告「同音の漢字による書きかえ」で「聚落→集落」が示されたこともあり、今ではほとんど見られない。ただし豊臣秀吉の豪邸「聚楽第(じゅらくだい、じゅらくてい)」など歴史用語として聚の字は使われる。
(2014年10月14日)
選択肢と回答割合
しゃらく | 7% |
しゅうらく | 41% |
しゅらく | 52% |
編輯
答え
へんしゅう
(正解率 52%)「編集」と同じ意味。昔は「編輯」「編集」が混在していたが、1956年の国語審議会報告「同音の漢字による書きかえ」で「輯→集」が示されたこともあり、今ではほとんど見られない。毎日新聞では創刊間もない明治の頃は「編輯」の字が見える。10月15日から新聞週間。
(2014年10月15日)
選択肢と回答割合
へんさん | 21% |
へんしゅう | 52% |
へんそう | 27% |
集く
答え
すだく
(正解率 35%)本来は集まること。後世「誤って、鳥・虫などの鳴く意にもつかわれ」(旺文社古語辞典)今は主に虫について用いられる。虫のすだく声も次第に衰えてきた。
(2014年10月16日)
選択肢と回答割合
しげく | 13% |
すだく | 35% |
ひしめく | 52% |
円居
答え
まどい
(正解率 76%)「まとい」とも読み、「団居」とも書く。親しい人たちが集まり楽しい時間を過ごすこと。ドボルザーク「新世界より」の日本語唱歌「家路」の歌詞にある「いざや楽しまどいせん」の「まどい」だ。
(2014年10月17日)
選択肢と回答割合
つぶらい | 16% |
まどい | 76% |
まどか | 8% |
◇結果とテーマの解説
(2014年10月26日)
この週は「集まる」がテーマでした。当初は2014年が東京五輪50周年ということで、世界中から若者が集まったことを念頭に置いていたのですが、全く関係ない漢字ばかりになってしまいました。
全体的に正解率が低かったのですが、「円居」は、漢字はもちろん仮名の「まどい」もほとんど使われなくなっている割に高い数字です。希少な例外として、古井由吉さんの小説「男たちの円居」と、童謡「家路」の「いざや楽しまどいせん」を挙げることができます。この歌詞、記憶では「いざや楽しきまどいせん」で、他の人からも「楽しき」ではないかという問い合わせを受けました。講談社文庫の「日本の唱歌」で確認しましたが「楽しまどい」で間違いありません。
なお、誤りの選択肢「つぶらい」を選んだ人はきっと、東京五輪銅メダルの円谷幸吉か、ゴジラなどの特撮監督・円谷英二を思い浮かべたことでしょう。2人はともに福島県須賀川市の出身。あのへんに多い名前なのでしょうか。
最も難しかったのは「集く」。ほとんど仮名書きされるので無理もありません。この言葉を響きの美しい日本語として愛する人は少なくないと思うのですが、大方は「鳴く」意味として使っているのではないでしょうか。改めて漢字を調べれば元は「集まる」意だったとわかります。
「聚落」と「編輯」も、いま使うことはまずないので、低い数字になったのは予想通りといえます。ただ、ともにテーマにある「集」の字が重要なヒントになっていることに気づけば、知らなくても当てられたかもしれません。
ところで、先の朝ドラ「花子とアン」で、花子が勤めていた出版社に「編集部」とあったのが引っかかりました。この時代は「編輯」の字だったのでは? しかし、日本国語大辞典の用例では「編集」「編輯」ともに戦前の文に見えます。戦後の国語改革によって「編輯」から「編集」への変更が行われたとは限らず、混在していたのが「編集」に統一されたという経緯のようです。ドラマ編集上の判断かどうか分かりませんが、時代考証が足りないとはいえません。
NHKドラマつながりでいうと、先日「軍師官兵衛」を見ていたら豊臣秀吉の邸宅「聚楽第」のことを「じゅらくてい」と言っていたので「えっ」と思いました。「じゅらくだい」と覚えていたからです。辞書で調べると、両方の読みが載っていました。
また、「聚落」にしても「集落」にしてもどうして「落ちる」の字が使われているのか気になりました。円満字二郎さんの「漢字ときあかし辞典」(研究社)によると、落の字には落ちる意味とは別に「落ち着く」の例などがあり「下へ移動した結果、ある場所にとどまることから“安定した状態になる”ことも表す」「上を見ているばかりでは幸せは見つからないよ、とささやいているような漢字である」ということです。
そういえば「楽をあつめる」という漢字である豪勢な聚楽第を築いた秀吉の栄華は安定せず、豊臣家は没落しました。更けゆく秋の夜、人々が寄り添いともに虫のすだく声に耳をすませるような、素朴な集落の方が、落ち着いて幸せに暮らせるということかもしれません。