読めますか? テーマは〈冬至〉です。
朔旦冬至
答え
さくたんとうじ
(正解率 62%)旧暦の11月1日が冬至に当たる日。吉日とされる。2014年12月22日はほぼ19年に1度の朔旦冬至。朔は旧暦の月の初めで欠けた月がよみがえり始めること、冬至は太陽がよみがえり始める日なので、特にめでたいとされたのだろう。旦は朝を表す字。
(2014年12月22日)
選択肢と回答割合
さくたんとうじ |
62% |
さったんとうじ |
18% |
ついたちとうじ |
20% |
大師講
答え
だいしこう
(正解率 60%)大師を各家庭でまつる行事。大師は高僧、特に弘法大師(空海)を指すが、もとは神の子を表す大子(おおいこ)ではないかと民俗学者・柳田国男は「日本の祭」に記す。冬至の夜に村を巡り春(太陽)をもたらすといわれる。サンタクロースと似た伝説だ。
(2014年12月24日)
選択肢と回答割合
おおしこう |
2% |
たいしこう |
38% |
だいしこう |
60% |
馴鹿
答え
トナカイ
(正解率 71%)大型の鹿の一種。アイヌ語から。「じゅんろく」ともいう。二十四節気をさらに3分割した七十二候によると、冬至の次候(12月26日~30日ごろ)に「麋角解」、つまりトナカイの類いが角を落とすという。まさかサンタクロースを運んで回った後で一息つくのでもなかろうが、東西で同じ時期に注目されているのが面白い。
(2014年12月25日)
選択肢と回答割合
かもしか |
20% |
トナカイ |
71% |
れいよう |
8% |
藺の節
答え
いのふし
(正解率 35%)冬至を過ぎると1日で畳の目一つ分ずつ日が長くなっていくといわれる。これを別の言葉で「冬至から藺の節だけ伸びる」。この藺はイグサのことだが、イグサに節はないという指摘がある。別に「い」はイノシシとする説も。時刻の刻という字からの連想だろうか。謎の多い言葉だ。
(2014年12月26日)
選択肢と回答割合
いのふし |
35% |
いのせつ |
46% |
りんのせつ |
19% |
◇結果とテーマの解説
(2015年01月04日)
この週のテーマは「冬至」でした。
二十四節気とは、ある1日だけではなく、次の二十四節気までの期間としての意味もあります。次の二十四節気は1月5日ごろの「小寒」(から)です。
二十四節気をさらに3分割した七十二候では、冬至期間は「乃東生(なつかれくさしょう)ず」「麋角解(しかのつのお)つる」「雪下麦(せっかむぎ)を出(い)だす」と分かれます。「日本の七十二候を楽しむ」(白井明大、東方出版)から引きましたが、他にもいろいろな読みがあてられています。真ん中の「麋角」は漢語で「びかく」。「さわしかのつの」という読みをよく見ますが、「さわしか」がどういうシカなのかよく分かりません。日本にはいないシカなので、昔の人が適当につけただけかもしれません。麋はトナカイの類いとされていますが、北欧にすむトナカイとは同じなのか別種なのかもはっきりしません。分からないことだらけなので「麋」ではなく「馴鹿」で出題しました。なお、出題時の解説で、七十二候に選ばれているのがクリスマスの直後というのは東西の面白い偶然だという趣旨のことを書きましたが、中国では旧暦ですので本当は直後といえません。
旧暦といえば「大師講」も、旧暦11月23日夜から24日にかけて行われる行事とされますが、新暦では出題時の冬至とズレてしまいました。ただ、この夜家々を訪れる「大師」(神の子)がサンタクロースを思わせるというのは、柳田国男も指摘しています。「大昔以来の民間の信仰では、冬と春の境に特に我々の間を巡ってあるきたまう神があって、それは天つ神の大子であるという信仰があったらしいのである。たぶんは偶然であろうが、西洋でいうクリスマスなるものが、非常によくこれと似ている。あれも季節は一陽来復、すなわち支那でいう冬至の日であった」(「日本の祭」角川ソフィア文庫)
「朔旦冬至」はほぼ19年に1度の新月と冬至が重なる日ということでタイミングを合わせました。誤答の「ついたちとうじ」は当たらずといえども遠からず。「朔」「朔日」は「ついたち」とも読むからです。そういえば「ついたち」は「月立ち」から来た言葉とされ、月末の「つごもり」は「月隠(つきごも)り」の変化といいます。こんなところに月が主体だった旧暦の名残があるのですね。
今回最も正解率が低かった「藺の節」。冬至から畳の目だけ日がのびるといわれますが、「藺の節だけのびる」ともいいました。これに江戸時代の「滑稽雑談」は「冬至より日の長さ、藺の節の長(たけ)を増すといへり。藺に節なし。何をもつていへるにや」と疑問を呈します(「角川俳句大歳時記」より孫引き)。「いの節」とは「豕」つまりイノシシのことという説もあるようですが、その表記はことわざ辞典に見えるのみで辞書では見つけられません。辞書に載らないということは、やはり確たるものがないということなのでしょう。いずれにせよ、畳のある家が減りつつあるなか、「藺の節」「畳の目」なんて表現は廃れる一方でしょうね。ちょっと寂しいですけど。