ことわざの研究家、時田昌瑞さんは数多くの著書をものしています。インタビュー後編は著書の中から校閲として・または個人的に気になった言葉についてうかがいます。よく知られたことわざが意外に新しかったり、ことわざとしての認知度はまだながらことわざと認められてしかるべきだったりする言葉など、移り変わりが激しい言葉の一部をお送りします。(前編はこちら)
【聞き手・岩佐義樹】
目次
「鷹の目にも見落とし」に慰められ
――「思わず使ってみたくなる知られざることわざ」(大修館書店)には「鷹の目にも見落とし」ということわざがあって、校正に触れられていますね。私も見落としが多くて自己嫌悪に陥ることが多いので、タカのような目ではありませんが、ちょっと慰められることわざです。
時田さん 相当丹念にチェックしたつもりでも、いざ出版されると間違いが見つかりますね。何人もチェックしているにもかかわらず……。
――「岩波ことわざ辞典」には「赤信号みんなで渡れば怖くない」も入っています。では流行語とことわざはどう違うのでしょう。
時田さん 流行語は現代では1年、長くても2、3年で廃れるという時間的限定がありますが、「赤信号」は40年以上前から使われ続けています。また、「みんなで……れば怖くない」を基本に言い換えるバリエーションがあること。「赤信号」を略した短縮形でも用いられることなど、ことわざとしての条件を持っていると判断しました。そもそもいま古くからあることわざと思われているものも、実は近代以降、外国から入ってきたものや明治・大正期から見られるものも多いのです。最初は流行語のように使われていたのも多かったはずです。
古くない「太鼓判を押す」
――「きれいな花にはトゲがある」という言い回しも、ことわざとはみなされていないと思いますが、「ことわざのタマゴ」(朝倉書店、2018年)で取り上げられましたね。2004年3月30日の校閲記者のコラム「読めば読むほど」で初めて見たと書いていらっしゃいます。小さなコラムにまで目を配っていらっしゃることに感服します。他に新聞でよく出てきて、ことわざとして認めていいと思っていらっしゃるものはありますか。
時田さん 「太鼓判を押す」。これ実は古くない言葉なんですよ。おそらく常用されるようになったのは戦後と思われます。「卵が先か鶏が先か」もそうですね。あと、認められたらなあと願っているものとして「育児は育自」「金持ちより人持ち」「森は海の恋人」「トイレなきマンション」などなどいくつもありますね。
――「森は海の恋人」といえば、「毎日小学生新聞」でも連載していた、木を植えるカキ漁師、畠山重篤さんたちの活動ですね。海の生き物を育てるのは山の木々だということで、優れたフレーズですね。これらは歴史の新しい言葉ですが、逆に今は廃れたことわざで、もう一度はやらせたい言葉はありますか。
時田さん 「七度の飢餓に遭うとも一度の戦いに遭うな」。これは一種の反戦思想です。ことわざは保守的な面が強いと思われがちですが、そうでない例ですね。
――ウクライナでの戦争などを思うにつけ、かみ締めたいことわざですね。ところで、毎日新聞では「毎日ことば」というミニコラムを連載しています。昨年末には「正直の頭に神宿る」を取り上げたのですが、「世界ことわざ比較辞典」の解説によると、「鎌倉期より江戸期までのあいだ最も多用された」が「明治に入ると激減し」「消滅の危機にある」そうですね。
時田さん 私の研究の柱の一つが日本のことわざの用例拾いです。古事記から現代の新聞・テレビまで拾ってきています。①江戸期まで②戦前まで③戦後から――の三つに分けて移ろいを見てきています。ただ、②は他の二つに比べると少なく6~7割です。「正直の頭に神宿る」の現状の数字を示しますと、①113例、②18例、③3例となっています。
――「正直」のことわざといえば「三度目の正直」が有名ですね。「世界ことわざ比較辞典」(岩波書店)のランキングによると、戦後の新聞の使用頻度第3位になっています。でも「正直」が一般的な意味とは違いますね。
時田さん この正直は「当たる」という意味です。実はこれも、歴史の長くない言葉なんですよ。江戸時代に「三度の神は正直」という例があり、「三度目の正直」の形は明治の巌谷小波(いわや・さざなみ)に例があります。でも、それとの関連はわかりませんが、英語にAll things thrive at thrice(物事はみな三度目にうまくいく)、The third time pays for all(三度目がすべての埋め合わせをする)というフレーズがあり、その訳として戦後広がった可能性があります。
一つのことわざに10以上の異表記も
――以前、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」について調べて、中国の原典で「虎子」となっているのに「虎児」が多いことをネットの「毎日ことば」で伝えました。ことわざはこのように表記や表現が変わっているものが多いのですが、日本人は無頓着なのでしょうか。
時田さん 表記に無頓着かどうかはわかりませんが、実際の用例を見ると実にさまざまな表記になっており、ことわざが定形を有するとする一部の考えに大なる疑問があります。現代の辞典に載る表記は辞典のために整えられた、かがみのようなものだと考えています。
「世界ことわざ比較辞典」の付録に日本の常用ことわざ100のランキングを載せていますが、これを古代から江戸期まで、明治から戦後まで、戦後から令和までの比較をしてみようと進めています。これまでに約12万例程度を集めていますので上記の観点から分析してみるのも面白いかなと思って始めました。
しかし、実際にやってみると表記だけで一つのことわざに10以上の表記が出てくるのも少なくなく、多くの辞書のように一つのことわざには決まった表記があるものではないことがわかりました。考えてみれば当たり前かもしれません。日々の会話などでは言い間違いや記憶違いなどたくさんありますよね。
――用例採集の作業はとてつもなく大変だと思いますが、その原動力はなんでしょう。
時田さん ある見方からすれば、酔狂と見られかねないですが、実はたくさんの発見があります。学問としてあまり顧みられなかったことわざには未知の部分が多く、そこに新しい出会いがあるのです。歴史のひだに隠れてきたことわざたちを掘り起こし、現代の光を当てる作業はたまらない魅力ですね。対象は膨大ですので多分、体がもつ限り死ぬまで続けることになりそうです。
――ありがとうございました。
1945年生まれ。早稲田大学卒業。ことわざにまつわる多数の収集物を「時田昌瑞ことわざコレクション」として明治大学に収蔵。著書「岩波ことわざ辞典」「岩波いろはカルタ辞典」(以上岩波書店)、「図説ことわざ事典」(東京書籍)、「ちびまる子ちゃんの続ことわざ教室」(集英社)、「たぶん一生使わない!?異国のことわざ111」(イースト・プレス)など多数。「チコちゃんに𠮟られる!」で海外のことわざを紹介するコーナーにこれまで3度出演。