新選国語辞典(小学館)10版が、2月16日に発売されました。編者の一人である木村義之慶応大教授と小学館辞書編集室の方のお話「下」では、編集でのエピソードや校閲への提言も伺うことができました。
「新選国語辞典」(小学館)10版が、2月16日に発売されました。11年ぶりの改訂で、今回約4000語が追加されて9万3910語となりました。アクセント表示や言葉同士の関連を示す「参考」欄など情報がぎゅっと詰まったかわいい小型辞典です。編者の木村義之・慶応大日本語・日本文化教育センター教授と小学館辞書編集室の大野美和さん、坂倉基さんのお話「下」では、編集でのエピソードや校閲への提言も伺うことができました。
【聞き手・大熊萌香】
目次
「たでる」「電髪」を削除、「呼び出し電話」は残す
――次に持ち越したことは。
木村さん 今回削除したもののなかには「たでる」という言葉があり、9版には「できものなどを薬湯でむす」とあります。これは戦前の辞書からずっと載っており、日本国語大辞典で見ると、井伏鱒二の作品が昭和になってからの用例として挙がっているのですが、この言葉をほかでなかなか見ることもない。歴史が長い分、前のものを引きずってしまっていて、記録として残しておくのもどうかな、だったら別の情報を加えたいという観点から消していくものもあります。載っているものを消すというのは勇気が要るのですが、今後、手入れをしていくということはあると思います。
――今回はどれくらい削除しましたか。
木村さん 項目を統合したり、語釈に吸収させたりというところもあって一概には言えませんが、例えば鎌倉幕府と鎌倉時代と立っていたものを「鎌倉」という地名の中に含めるといった削除の仕方もありました。もちろん「たでる」のように、無批判に継承してきたようなものを見直すというところもありました。サッカーのことを指す「ア式蹴球」や、戦時中のパーマを指す「電髪」などです。あとは「着メロ」「MD」「ミニディスク」など、ある時期世の中に出回ったけれども今は……というものを削除しました。全体でいうと、必ずしもその情報がすべて消えたわけではないですが、170くらいです。「呼び出し電話」については、迷って野村雅昭先生と議論したところです。現実には社会生活からは消えましたが、これは注をつけて残そうということになりました。調べたら松本清張の「点と線」とか、宮部みゆきや東野圭吾の作品に例が見られたためです。私は子供のころ電話帳に「(呼)」と書いてあったのがありましたから、もうちょっと残しておきたいなと思いました。後は、ジェンダーに関係して「女の腐ったよう」など、差別的に受け止められる古い価値観での言葉も見出しからは消えました。
MD「あんなに命が短いとは」
――収録するかどうかの基準は何でしたか。
木村さん テレビ・ラジオ・新聞というのは大きな情報源で、社会とのかかわりということは大きいです。それが一過性のものなのかどうかということはそれぞれ個別に判断しました。MDなんかはあんなに命が短いとは思わなかったですが、生活や制度として私たちに関係しそうなものという点です。
――全体のボリュームの目標を定めたりするのですか。
木村さん 昔の紙に比べて、薄くても裏写りしないなどすごく品質が上がり、印刷技術の進歩で多少小さくても鮮明になっていて、毎回これが限界ということでやっています。
大野さん 今回48ページ増えましたが、軽くなっています。より白くて見やすくなりました。
――4000語追加は目標にしていたのですか。
木村さん (語数の目標というのは)目安は毎回3000、4000という規模ですが、だから4000に無理やりするということではなく、経験的にだいたいいつもそれくらいに落ち着きます。あと、語釈のほかに「参考」というのが結構詳しく入りました。それは言葉同士の関連を考えるときの情報としてかなり丁寧になったと思います。単語の増加よりも、そちらでスペースが増えた分もあると思います。
――校閲的にありがたいところです。
「主婦」と「主夫」の関係は「参考」欄で
木村さん 「朝ご飯」と「晩ご飯」というところの「参考」を見ていただくと。最近では「夜ご飯」とか、「夜食」をいつ食べるのかということが問題になります。矢印でどこの単語を参照してくださいというような指示があるので、単語同士の関連や違いに関心が向かうようにつくっているはずです。
「主夫」という言葉は9版では語釈だけだったのですが、今回は「参考」を立て、主婦との関係を明らかにしてあります。編集部での議論では元の原稿にあった「家事を代行する」というくだりには「代行は違うのではないか」という意見をいただいたりしました。今できている「参考」の原稿におさまるまで、いろんな声がありました。
後見返しの「データ」
――後見返しのデータの集計は大変だったのでは。
木村さん 今はシステム化してあります。明治時代には手でやった人がいて、「言海」という辞書の付録はもっと詳しいです。
――分けにくい語もありそうですね。
木村さん 一つの単語にいろいろなラベルがついていたりします。
坂倉さん まずコンピューターで分類し、200語くらい分けきれないものがありました。そういうところに特徴が表れるのかなと思って非常に興味深く作業をしました。
大野さん ホームページの野村先生のコメントでは、後見返しの品詞別・語種別の集計は「類書にはない特色であるとともに、編者の一語一語へのいとおしみの集積でもある」とあります。
校閲へ「書き表し方の参考に」
――校閲記者に活用してほしい点があればお聞かせください。
木村さん これは野村先生から話をいただいたところですが、新聞社でもハンドブックというのをつくっていますね。非常によくできていると思うんですが、常用漢字表を基準にするという面が強すぎるのではないかと思っています。新選の凡例の「言葉の書き表し方を知るために」というところでは、漢字で書けるけれども仮名で書く方が自然なものや、わかりにくい言葉で仮名を優先させるものなどを載せています。目安としての常用漢字表がありながらも、わかりやすく書き表すということです。新選で示した代表表記を参考にしていただければ。
――辞書では珍しいですね。辞書は漢字ではこうだというのを示すというところがある中、平仮名で書いたらということを書いてらっしゃるということですね。
木村さん 辞書には異字同訓、「はやい」は「速」がいいのか「早」がいいのかとか、「はかる」は「計」なのかどうかとか、そういう書き分けを要求するということがありますが、無理なものも多いです。こう書けというふうな示し方には、必ずしも賛成できないという態度も辞書の見出しのところで示してあると思います。
――日本新聞協会の新聞用語懇談会でも、改定された常用漢字表のかなり難しい字については仮名書きにしたりルビをふったり、言い換えをしたりしようということにしています。
木村さん 本来はそういうことをきっかけにして言葉づくり自体を考えるということから始めるべきなんだと思います。漢語を使うとどうしてもその漢字が必要になってきますから、常用漢字も増える方向に行きますよね。そもそもの言葉づくりに無理があるんじゃないか、聞いてわからない言葉はどうかなと思います。
辞書は「つくった人の姿勢」が表れる
――最後に話しておきたいことがあれば。
木村さん 新聞がどれを読んでも同じでないように、辞書もつくった人の言葉に対する姿勢が各社違うからこそあちこちで出しても成り立っているわけで、そういうところを見ていただければ。
大野さん 野村先生に、「参考」欄に結構落語や古典の情報が入っていたような気がしたのは、先生が「落語の言語学」とかを書かれたからですかねと伺ったところ、それを入れようと思ってやったわけではないんだけれども、以前、三省堂国語辞典の初代編集主幹・見坊豪紀先生が落語がお好きで、初版に落語についての記載がすごく充実していたとのこと。そこに追いつきたいなという気持ちがあり、今回ちょっと手を入れることができたかなとおっしゃっていました。
――そういったところも個性ですね。
木村さん ある時代までの人は、歴史の勉強でなくても、落語や講談などの話芸から、例えば岩見重太郎といった人物の情報を得て、その時代の共通の教養みたいなものを形成していました。今はなかなか共通の話題が見いだしにくいと思います。例えば、大変ヒットした「鬼滅の刃」の中の言葉が国民的に共有されて言葉として通じ合うのは難しい時代になったと思います。後追いで伝統芸能の言葉を入れるというのは、ある時期まで日本人が学歴などに関係なく共通に身につけていた教養みたいなものを、機会があったら拾いたいということでした。そのソースが落語だったということです。
――さまざまなお話をありがとうございました。
(おわり)