年が明けて半月が過ぎたころ、皇居・宮殿では毎年「歌会始の儀」が執り行われます。天皇、皇后両陛下や皇族方、一般から選ばれた方々などが、定められたお題に沿って歌を詠まれる新春恒例の宮中行事です。
歌会始には特別な思い出があります。それは入社して1週間余り、まだそわそわしながら校閲見習をしていたときのことです。
「あ、これ、テレビで見た」。その日のお昼のニュースで知った歌会始についての原稿が、私の手元にやってきました。無知の状態で校閲するのと概要を知って校閲するのとでは気持ちが違います。昼前には起きてテレビを見て、当日の出来事を把握してから出社するようにと入社直後に言われたものの、深夜に仕事を終えて朝方床につく生活では、それもつらいところ。それでも一頑張りしてニュースを見たかいがあった!と心の中でガッツポーズしました。
原稿を読み進めると「伝統にのっとった節回しで、天皇陛下の歌から順番に朗詠された」との記述が出てきました。あれ? テレビで見たときは、天皇陛下が最後という印象を受けたような。寝ぼけた頭で見ていたから勘違いかな。不確かなことを口にする勇気もなく、自分を納得させる方向に考えがめぐります。その間も次々と原稿が届き、あたふたしているうちに、頭の隅にあった懸念はどこかへ飛んでいってしまいました。
その記事が載った翌日のこと。新聞を広げるとそこには、入社以来恐れていた「訂正」の2文字が。「16日朝刊『歌会始』の記事で『天皇陛下の歌から順番に朗詠』とあるのは誤りでした。陛下の歌は最後に詠み上げられました」
間違いを見つけるアンテナは立っていたのに、なぜそれを生かさなかったのか。そのときの苦い気持ちは今でも忘れることができません。
後から分かったことですが、宮内庁のホームページにも「一般から詠進して選に預かった歌、選者の歌、召人(めしうど)の歌、皇族殿下のお歌、皇后陛下の御歌(みうた)と続き、最後に御製(ぎょせい)が披講(ひこう)されます」と丁寧な説明がありました。
怪しいと思ったら確認すること。それがどれほど大切か、このとき身をもって学びました。信頼して読んでいただける記事を送り届けるために万全を期すのは当然のこと。校閲を通過すればそのまま紙面になってしまうのですから、私が聞かなきゃ誰が聞くという意気込みでいなくてはいけません。
とは言っても、「あのー、はっきりとは分からないんですが、怪しいと思いまして……」と切り出すのはなかなか勇気がいるもの。できる限りの証拠を持って出稿元へ行くのですが、確証がないと及び腰になってしまう意気地なしの私。そんなことではだめだ!と、この時期が来ると初心に帰り、自分を奮い立たせているのです。
【大西咲子】