「みみざわりがよい」という表現について伺いました。
「耳ざわりがよい」はおかしい、が7割弱
「耳ざわりがよい」という表現、どう感じますか? |
「耳障り」なのでおかしい 68.4% |
「耳触り」なので問題ない 31.6% |
回答から見られる解説で「耳触り」が広辞苑7版に採録されたと書きましたが、一般的にはまだ「耳障り」が優勢のようです。「耳触り」を許容する意見の2倍以上の票を集めました。
新聞・通信社の用語集を見たところでは、「耳ざわりがよい」を積極的に認めているものはありませんでした。共同通信社の用語集13版(2016年)では「誤りやすい語句」の欄で、
耳触り・耳障りの良い 〔注〕「耳障りの良い」は「耳に優しい、聞こえがいい」などとする。「耳触りの良い」は発言の引用では可。
とし、発言の中では「耳触りのよい」を認める場合があると示していますが、基本的には「耳障り」である、という立場は崩していません。
より一般的な使用状況はどうでしょうか。1980年には既に、文化庁の「ことば」シリーズ13「言葉に関する問答集6」の中で「『耳ざわりが良い』というのは一般的な表現か」という問いが取り上げられています。
回答はまず「…ざわり」という語のうち、よく使われる「口ざわり・手ざわり・膚(肌)ざわり・耳ざわり・目ざわり」の5語を取り上げ、国語辞典などでは「口ざわり・手ざわり・膚ざわり」の3語は「触」を当てているものが圧倒的に多いと言い、一方で「目ざわり」はすべて「障」だとしています。「すなわち、『触』は、接触の意であり、『障』は、『支障・妨げ』の意である」。何であれ目に接触したら痛くてたまらないですから「目触り」が無いのは道理です。
そして問題の「耳ざわり」。回答によれば「『耳ざわり』は、もともと、『聞いて気に障る様子』〔中略〕という意味の語で、『目障り』と同じく、『耳障り』と書くのが伝統的な形であったが、この『さわり』を『接触』の意にとって、『耳触り』の意味にも用いられるようになってきたと見ることができる」とのこと。本来はやはり「耳障り」であり、「耳触り」が後から生まれたといいます。
しかし、「耳障り」が形容動詞として使われるのに対して「耳触り」は名詞であり、ゆえに良い悪いどちらの場合も考えられるとして、「『耳触りが良い』とも、『耳触りが良くない』とも使えるわけである」と回答は結ばれています。広辞苑が7版で「耳触り」の項目を立てたのも、こうした流れにさおさしたものと言えるでしょう。
広辞苑7版
とはいえアンケートの結果でも、今なお7割弱の人が「耳ざわりが良い」はおかしいとしており、新聞としても当面は「耳ざわり=耳障り」という現在の態度を改める必要はなさそうです。ただ一方で、もはや「耳触り」という用法を誤りと断定することはできないかな、とも感じています。共同通信のように、やや妥協的なルールを採るのも、この場合には有効かもしれません。
(2018年05月18日)
少し前までは「耳ざわり」といったら「耳障り」のことでした。耳への障りになるのですから、もちろん「聞いて嫌な感じがすること。聞いて気にさわること」(広辞苑7版)。毎日新聞でも、原稿に「耳ざわりがよい」とあるならば「耳障り」と考えて修正をほどこしています。毎日新聞用語集には「耳障りがよい→耳に心地よい、聞き心地のよい」とする言い換え例が載っています。
しかし、近年になって「耳触り」が勢力を増しています。広辞苑も7版でついに「耳触り」を見出し語に採用。「聞いた感じ。耳当たり。『―のよい言葉』」という意味・用例を、「俗用」などとの注釈もなしに載せています。一つの独立した言葉として存在を認めたということでしょう。新聞では他社の用語集も、毎日新聞と同様の言い換え例を載せているものが大半ですが、言い換えを続けるかの検討が迫られているようです。
(2018年04月30日)