「納得する」という意味の表現について伺いました。
目次
6割は「腹に落ちる」を選択
納得すること。どちらの言い方がなじみますか? |
腹に落ちる 61% |
胸に落ちる 7.8% |
上二つのいずれでもよい 2.9% |
上二つのいずれもよく分からない 28.2% |
「腹」か「胸」かという選択では、「腹に落ちる」が圧倒的で6割を占めました。出題者は「胸に落ちる」になじんでいたのですが、こちらを選んだ人は1割に届かず。今回の質問は「腹落ち」という見慣れない言葉を目にしたことがきっかけだったのですが、「腹に落ちる」が言い回しとして受け入れられるならば、短縮形の「腹落ち」も許容されるものかもしれません。
伝統的にはいずれも使われる
まずは実例を引きましょう。いずれもインターネット図書館の青空文庫から。
どうやら常談〔冗談〕らしくもないお前の返詞がおれの腹に落ち兼ねる、お前は本当に清さんを呼ばせる気か(森鷗外「そめちがへ」)
入組んだ事柄になると五日も十日も掛てヤット胸に落ると云うような訳で、ソレが今度洋行の利益でした。(福沢諭吉「福翁自伝」)
「そめちがへ」は1898年の「新小説」が初出、「福翁自伝」は1898年から99年にかけて「時事新報」掲載とのことですから、ほぼ同時期の例です。「腹に落ちる」「胸に落ちる」のいずれも、明治期にはそれなりに使われていたと考えてよさそうです。
心と結びつく「腹」と「胸」
「腹」「胸」いずれも、さまざまな慣用句を作ります。「腹」であれば「腹が立つ」「腹が煮える」「腹におさめる」「腹を合わす」等々。「胸」なら「胸がいっぱいになる」「胸が裂ける」「胸を焦がす」等々。「腹」が「考えていること。心中。本心。また、心づもり」(大辞泉2版)を表し、「胸」は「こころ。思い。心の中」(同)を表すといい、かなりの部分が重なっているのですが、「腹」の「本心」という部分が目を引きます。
インターネットから見られる田中聰子さんの論文「心としての身体―慣用表現から見た頭・腹・胸―」(2003年)では、「胸」「腹」を含む慣用表現を集めています。いずれも心や感情と結びつくと述べつつ、その違いについて「胸の内を察する」「腹の内を探る」といった表現から
胸や腹と結びつく個人的感情のうち、胸と結びつく方はどちらかと言うと他人が共感しうるような感情であるのに対して、腹と結びつく方は他者との利害の対立を前提とした、いわば利己的・打算的な感情であると言える。
と述べています。利己的・打算的というのはあまり表に出したくない本音の部分とも言えます。この論文でも「胸に落ちる」「腹に落ちる」のいずれもが、納得ないし理解を意味する慣用表現として挙げられていました。用例を見るに意味の差は感じないのですが、アンケートの結果に差がついたのは「腹に落ちる」の方がより本音の部分で納得するように感じられるからなのかもしれません。
もちろん「腑に落ちる」もあります
今回の質問では「いずれもよく分からない」を選んだ人も3割近くありました。校閲のツイッターでは「腑(ふ)に落ちる」ではないのか?というコメントが目立ちましたが、その通り、「腑に落ちる」は「納得する」という意味の言葉で、否定形の「腑に落ちない」が主に使われます。よりなじみのある別の言い方があるために、選択肢で見た言い方がしっくりこないと考えられたのでしょう。
ただし、慣用句に使われる身体部位としても、腑(内臓、はらわた)は胸や腹とはちょっと異なる感じはします。日本国語大辞典2版は「それほどおのれは腑の無い奴(やつ)か、恥をも知らぬ奴と見ゆるか」(幸田露伴「五重塔」)のような、「心」と同じように使われる用例を挙げていますが、現在では「腑に落ちる(落ちない)」以外の言い回しが使われることはまずありません。あまりに定型的な表現であるため、今回の質問の選択肢からはあえて外しました。
ちなみに「胸に落ちる」は、出題者が若い頃に親しんだ昭和前期の大衆小説でよく使われた表現のようで、青空文庫では国枝史郎や吉川英治の作品で使われていたことが分かります。「すとんと胸に落ちる」という形で使われることもあり、広辞苑(7版)は「胸」の項目で慣用句の「胸に落ちる」を載せていないにもかかわらず、「すとん」の項目では「胸に―と落ちる」という用例を載せています。今回のアンケートではなじみの薄い人が多かったようですが、辞書に語釈が載っていなくても、ついさらっと出てきてしまう程度にはありふれた言い回しだというべきでしょう。
(2021年08月10日)
外部筆者の原稿を読んでいて「腹落ち」という言葉に引っかかりました。「都民の腹落ちがなければ」緊急事態宣言など出しても機能しないだろう、という話で「腹落ち=納得」という意味だろうと推測はできます。毎日新聞の記事データベースで検索してみると、当該の記事を含めて用例は3件。すべて今年に入ってからのもので、しかも外部のけっこう「偉い人」たちの寄稿とインタビュー。もしかして「腹落ち」は、おじさん方の最近の流行語なのでしょうか(出題者もおじさんですが)。
しかし気になったのは「腹」でよいのかということ。「腹に落ちる」よりは「胸に落ちる」の方が出題者にはなじみのある表現です。辞書を引くと、大辞林4版や三省堂国語辞典7版などは「胸」の項目に子項目「胸に落ちる」を載せています。もっとも広辞苑7版と大辞泉2版は「腹」の子項目で「腹に落ちる」を載せており、いい勝負とも言えます。意味はいずれも「納得する」「得心する」というもので、同じような言い回しと言えそうです。
うーん、しかし「腹落ち」ですか……「腹に落ちる」になじみのある人が多いなら、こうした名詞化もあり得ると思いますが、果たしてそんなに親しまれている表現なのか。こちらで伺ってみたいと思います。
(2021年07月22日)