その年を代表する言葉で、辞書編集者が今後の辞書に採録されてもおかしくないものを選ぶ「今年の新語」(三省堂主催、紹介記事はこちら)。2018年の大賞に選ばれた「ばえる」(映える)は、17年に最も応募投稿数が多かったという「インスタ映(ば)え」から「ばえ」が独立して動詞化したもので、17年から18年に普及した言葉とみられています。また、その成り立ちから「やまとことば」としては、濁音で始まるのにプラス評価を表す珍しい例だといいます。
驚いたのは12月5日の発表当日、三省堂現代新国語辞典の小野正弘編集主幹が「ばえる」について「新聞での用例ではないか」と3日付の毎日新聞夕刊(東京本社版)の見出しを紹介したことでした(冒頭の写真、左は飯間浩明・三省堂国語辞典編集委員)。
当該記事と見出し。ウェブ版はこちら
文中には「大楠や鳥居などの近くにはスマートフォンを置いて『自撮り』や記念撮影ができる台を設け、『インスタ映え』も意識した」とあり、この「映える」はいわゆる「SNS映え」の意味が強く読み取れます。
この見出しを考えた情報編成総センターの谷多由記者に聞いてみると、確かに「ばえる」のつもりで付けた、と教えてくれました。「ほら、テレビとかでも最近よく聞くし、なんかいいかなって」
ただ新聞で使うのは「もしかしたらダメって言われるかも」とも思ったそうです。しかしそういったことはなく「漢字だから『はえる』とも読めるのでよかったんでしょうね」と振り返りました。
実際、これは「はえる」と読んでも構わないでしょう。「ばえる」の三省堂国語辞典風の語釈(下の写真)では、意味を「はえる」で説明しています。「ばえる」は「はえる」にSNSという今風のニュアンスをまとった語で、基本的に意味は重なっています。
何を隠そう、この紙面の校閲担当の一人だった私も、まだ「ばえる」という言い方を知りませんでしたが、「はえる」と読んで全く違和感はありませんでした。新聞用語が基本とする常用漢字のルールでは「映える」の形では「ばえる」と読めませんし、「ばえる」だと多くの読者に通じるかどうか気になりますが、「はえる」と読んでもいいなら問題はありません。
「今年の新語」の選評には、「漢字では『映える』と書いて『はえる』と区別がつかないので、例を集めにくい」とありますが、裏を返せば両方の読み方を許容する幅があるということになります。そのおかげで、鮮度の高い新語が新聞紙面で使われた例として、辞書編集者の鋭い目に留まったとも言えるのではないでしょうか。
【大木達也】