「永遠と続く」「脈絡と続く」「地位に連綿としない」――いずれも「続く」ことに関係する言葉が混同されて使われていると思われます。「延々」「脈々」「恋々」という「々」を使う熟語は認知されていないのでしょうか。
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「永遠とアニメの話」
先週は「毎日小学生新聞」に連載している飯間浩明さんの「日本語どんぶらこ」を引用しつつ、「一生ねてた」などの「一生」の新しい使い方について記しました。
飯間さんの記事には「そういえば」と前置きして次の文章もありました。
ずっと何かをすることを「永遠と」と言うことも多くなりました。たとえば、「友だちと永遠とアニメの話をしていた」というふうに使います。
飯間さんはこの「永遠」は「えんえん」が変化したものかもしれないと推測しています。
飯間さんが編集に携わっている三省堂国語辞典8版でこの使い方があるか調べてみると、やはりありました。「永遠」の2番目の意味として
〔俗〕延々。「―と続く道」〔二〇一〇年代に広まった用法〕
とあります。
一方、誤用に厳しい明鏡国語辞典は3版の「注意」欄で
「延々」と混同して、「永遠と」の形で副詞として使うのは誤り。「× 永遠と話を聞かされる」
とダメ出しをしています。
まさか毎日新聞ではこれはないだろうと思いつつ、一応過去の記事を「永遠と続」で検索してみると、あに図らんや5件ほどヒットしました。3件は地域面ですが、それよりチェックが厳しいはずの全国向け記事でも出ています。そのうちの一つは、ベテラン記者による2009年のものでした。
その時代を記録する新聞記者の仕事は変わらない。「今をどう、伝えるか」。この課題はたぶん、これからも永遠と続くだろう。
ただし、これは「延々と」の変化ないし誤用なのか、よく分かりません。単に「永遠に」の書き違いかもしれません。他の例を見ても「空が限りなく永遠と続いているように、私たちの未来は果てしなく広がっている」(06年、読書感想文)など、「永遠」という言葉が「延々」よりふさわしい文脈に思えます。
つまり、形容動詞の「永遠に」が「永遠と」になるという平仮名の誤用がまずあり、それが「延々と」という言葉との混同をもたらすようになった、という流れなのかもしれません。
ミャクミャクさまも目がテン!?
ところで、ある本に「脈絡と続いていく」という文がありました。「脈々と」の間違いでしょう。
ただ、毎日新聞でこそこの脈絡の使い方は出ていませんが、インターネットでは「脈絡と受け継がれる」などの例が少なくありません。それも、企業、自治体、お寺など、ある程度公共的なホームページで見られるのです。
ネットでは大阪・関西万博の公式キャラクターが「ミャクミャクさま」としてなぜか人気のようですが、漢字の「脈々」を知らない人が「脈絡」を使っているのでしょうか。単なる誤入力なのでしょうか。
ちなみに「脈絡」を「脈略」と誤るケースもありました。
恋愛じゃなくても恋々
もう一つ、「地位に恋々としない」を「連綿としない」と間違えるケースも昔からあります。この場合の恋々は「未練がましく執着するさま」。「連綿」を三省堂国語辞典8版で引くと「おっ」と軽く驚く記述になっていました。
③「恋々(れんれん)」の誤り。「地位に―とする」
三省堂国語辞典8版は「誤り」という記述をやめ、日本語の変化の一過程や俗用としてとらえる方針と思っていました。これに関しては文句なく「誤り」と判断したようです。
「延々と」が「永遠と」に、「脈々と」が「脈絡と」に、そして「恋々と」が「連綿と」に。いずれも続くことに関係する「々」が、音が似た他の熟語と混同される現象です。これは何を物語っているのでしょう。
もしかしたら、文字で使い方を覚えるのではなく、耳で聞いてうろ覚えのまま使う人が増えているのかもしれません。あるいは、「えんえんと」「みゃくみゃくと」などが擬態語として捉えられ、漢字で書くとき別の漢語の方がよいと思う人が増えているのでしょうか。
【岩佐義樹】