NHK「プロフェッショナル」にも出演した校正者・大西寿男さんの著書「校正のこころ」は、若手校閲記者の一つの指針にもなっています。言葉にどう向き合うのか。「校正のこころ」とは。インタビューも交え、本の内容を紹介します。
自分には果たして「言葉の声」が聞こえる日が来るのだろうか、はたまた違う形で向き合う姿勢を確立することができるのだろうか。そんなことを思いながら読み進めた、大西寿男さんの「校正のこころ 増補改訂第二版――積極的受け身のすすめ」。毎日新聞大阪本社の校閲センターに来てくださった大西さんにもお話を伺いながら、「言葉との付き合い方」について考えました。
目次
言葉を愛し、その本来の姿を見いだす
NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」への出演や、日刊ゲンダイでのインタビュー掲載など、校正について幅広く発信されている大西さん。その著書「校正のこころ」では、校正とはどのような仕事なのか、校正の歴史や時代による変化といったことから、言葉との向き合い方、活字の変容、おすすめの辞書まで「校正」に関する幅広い内容が扱われています。私がその根底に流れていると感じたのは、校正という仕事、そして何より言葉そのものへの愛情でした。
書きあげられたばかりの言葉(原稿)は、生まれたままの姿をした、よちよち歩きの赤ちゃんのように映ります。(中略)しかし、その赤ちゃんはすでに自律(みずからを律する)し、母胎である著者から離れ、どこかをめざしてそこへ向かおうとする意志を、生まれながらにもっています。(p.90)
その言葉が立派に世間で通用するよう、船出へ向けて援助する役割を校正者は担っている、と大西さんは言います。私たちが「言葉」という繊細なものを扱っていることが改めて思い起こされる表現です。原稿に赤字を入れ、疑問点を筆者に確認する行為は、読者へと向かう旅に出る前の言葉たちの身だしなみを整え、手荷物を点検することのようなイメージが浮かびます。
「校正のこころ」では、ゲラ(校正刷り)と相対する時に、「一対一の信頼関係を築く」読みをすることが大切と書かれています。そして、関係が結ばれたとき、校正者が持つ自分の言葉とゲラの言葉との対話が行われるとも。
ついに言葉どうしが鏡像であることをやめ、ひととびに結びあい、理解しあう瞬間が訪れます。そのときはじめて、私はゲラの言葉の本来の姿を見出し、ほんとうはこうありたかったという肉声をたしかにつかまえることができたといえるのです。(p.98)
「美男子ぞろいの……」でいいのか
仕事をしていると、「ここはこの表現でいいのだろうか」と読む手が止まることが多くあります。誤字・脱字のように明確な間違いとは言えないけれど、誤解を生む可能性がある、もしくはより読みやすい表現があるのではないか。思考はぐるぐる回りますが、原稿は進みません。
とある歌唱グループを紹介する文面で「美男子ぞろいの」と形容されていました。人を容姿によって評価する「ルッキズム」が問題視されるようになり、2022年の「新語・流行語大賞」にもノミネートされました。男女を入れ替えて「美女ぞろい」としてみると違和感があるように思えます。容姿のよさをアピールポイントとしている可能性もあると悩みつつ、出稿部に相談してみたところ「個性派ぞろい」となりましたが、指摘を出して良くなったのかどうか、今でも判断がつきません。
特に紙面の降版時間が近い時などは、思い悩んでいる間に少しでも早く読み終えたい、と焦ります。読者は表現を気にするだろうか、他の人が読んでも直しを入れるだろうか、ぐるぐるぐるぐる……。そこに提示された、「言葉そのものの声をきく」という姿勢。
実はみんな、言葉の肉声を聞いている
大西さんに、校正の仕事を始めてどのくらいで「言葉の声」を意識するようになったのか伺ってみると、次のように答えてくださいました。
「(言葉との対話は)多かれ少なかれ一人一人やっていることだと思います。たとえば自分が読んで好きだった小説が映画化されたりアニメ化されたりするときに、この主人公はこんな声じゃない、と思ったことはありませんか? 小説だったら文字しか並んでいないのに、自分の中にいつのまにか『この人物の声』ができているんですよね。そういった体験はみんな持っているんじゃないかと思います。それを意識的に仕事に持ち込むか持ち込まないか、はあると思いますが、活字の肉声というのはみんな日常的に接していて、ただそれは生理的な感覚だから立ち止まって考えることは別にしない。僕は、子どもや学生のころに好きで本を読んでいたときもそうですし、校正の仕事を始めてからもそうなんですけど、その点では何も変わっていないなという気がします」
確かに、そういった経験は私もよくあります。まだ言葉の「肉声」が聞こえると自信をもっては言えませんが、一つ大事な指針を頂いたような思いです。
全ての人に「校正のこころ」を
このような言葉との対話によって、受け手(読者)を傷つけたり誤解を招いたりせず適切に理解される言葉を世に送り出す、それは書籍でも雑誌でも新聞でも、世に出るすべての刊行物において等しく大切なことです。そしてそのように言葉と向き合う姿勢が、タイトルでもある「校正のこころ」です。
大西さんは著書の中で、校正者だけではなく全ての人に「校正のこころ」が必要なのではないか、と提示しています。
「校正のこころ」は、何も校正者だけのものではありません。だれもがもつことのできる、人間の営みです。(p.153)
大西さんは誰もが校正の視点を持つ必要性について語ってくださいました。
「自分が書いたもの、あるいは人が書いたものを、読書のように読むだけではなく、別の角度から受け取る視点はすごく大事なんじゃないかと思っています。昔だったら作文が書けて本がしっかり読めたらよかったんですが、今はSNSなどで発信するときにいかにデザイン・編集するか、それでいかに相手の注意を引くかというところにエネルギーを使っている。その次に何が必要だろうと考えたときに、『校正』だろうと。読み書きそろばんみたいに、子どものころから自然に身に付けるスキルになったらいい。校正者だけの舞台裏のプロの技術というのではなく、みんなが普通に生活のなかで使う『生きる知恵』みたいな校正があってもいいと思います。そうすると言葉のコミュニケーションが楽になる気がするんですよね」
インターネットの普及により、誰もが全世界に言葉を発信できる時代になりました(このブログもその一つです)。発した言葉が、伝えたいことを適切に表現できているか、誰かを傷つける内容になっていないか。これは校正者に限らず全ての人が身に付けておきたい視点です。SNSで何の気なしに投稿した文章を読み返して「これはちょっとまずかったかな」「誤解を生むかな」と思って補足を加えたり削除したりしがちな自分はまだまだ未熟者だと反省しきりでした。
その他にも大西さんとは校正の仕事や言葉について、たくさんお話しさせていただきました。インタビュー全編は後日掲載します。また、5月19日には大西さんの寄稿(会員限定記事)も掲載予定です。
【渡辺美央】