前回からつづく「2年目の校閲記者が37年目のベテランに聞く」後編。
校閲の仕事にどう向き合うべきかや、今の若手に足りないものなどについて、引き続きストレートに語りました。
これまでの経験などについて聞いた前編はこちら。2人のプロフィルも紹介しています。
目次
今の若手に足りないもの
山田:軽部さんはいろいろな世代を見てきていると思うのですが、下(若手)の世代に足りないものとかここをこうしたらいいのにと思うことはありますか。
軽部:金が足りないかな。みんなもう少しお金もらってもいいのにと思うよ(笑い)。それくらいみんな優秀ですよ。
いまはやらなければいけないことがたくさんあるからかわいそうだなと思うね。新聞製作はある意味でパターン化されているわけで一つ一つクリアしていくというふうな順序立てがはっきりしていたような気がするけれど、いまは一つの段階でいろんな仕事をしなくてはいけないからね。
昔の僕が今、この状況で仕事をしていたとしたら(若手の)みなさんと同じようにはやれていないと思うもの。ヒーヒー言っているよ。間違いなく(笑い)。それは僕らも含め、校閲の基本は何かというのを考えてもいい時期にきているのではないかなと思うこともあるよ。こういうさまざまなことをしなきゃいけない時代だからこそね。
やり方を考え直す時期
軽部:先生役の先輩から教わったものはおのおのあるのだけど、ある程度マニュアルというか、もう少し校閲全体としての方法論みたいなものをつくるべきなのか。はたまたつくれないのか。わからないけれど考えてみてもいいのではないかとかね。
それでいうとあなたや若手のほうが校閲の方法論をつくっていけるのかもしれないよね。組織のあり方や位置づけも変わっていくだろうから。もちろん土台のところはあまり変わらなくて、文字を見てきちんと直っているかとか、その言葉っていうのが間違っていないかとかね。
逆に聞きたいのだけれど自分は校閲部の中でどういうふうなところにいるのかって悩んだり不安になったりすることはある? このままでいいのかなって……この仕事の中で自分が必要とされているのかなって思うことはあったりするの。
山田:結構常日ごろから不安に思っていますよ(笑い)。力が足りていないなとか、今はまだいろいろ考えられる状況じゃなくて日々精いっぱいですけど、この先ずっと続けられるのかなって思うことは正直あります。
軽部:はっきり言って必要とされていますよ。
山田:本当ですか。いらないよとはわざわざ言われないだけじゃないかと(笑い)。
軽部:よほど変なことしない限りは言わないわな(笑い)。
生真面目に正直にいくしかない
軽部:僕は姿勢として仕事の時は基本的には生真面目であるべきだと思うわけね。手を抜かない。いつもそうするのは大変だけれども。自分の力量なんて自分で信じられないわけですよ。だから生真面目に、正直にいくしかないわけですよ。
派手にお金もうけしたいのならこの仕事はやめたほうがいいかもしれない(笑い)。ただ最終的には自分の人生だからね。僕は一度転職しているから、なかなかもう一度ほかに行くっていうのは考えられなかったけれどね。
山田:思うことはありましたか。違う世界を見てみようかなとか。それこそ不安に思うことがあったりしたんですか。
軽部:具体的に何がしたいとかはなかったけれど、このままずっといっちゃうのかなっていう漠然とした不安はあったね。ただ早かったね。あっという間だったね。三十過ぎたらものすごく早くてここまできちゃった感じだね。
軽部:山田さんは校閲のイメージはどういうものをいだいていたの。
山田:私はいろいろな人が仕事をする前から言葉の誤りを発見していたという話を聞いていたからすごく不安な部分もあって。
軽部:言葉の専門家集団みたいな(笑い)。
山田:でも入ってみるとそれ以外にもやることはいっぱいあって。ますます大変だなあと。
軽部:僕が若い頃よりも確実に忙しくなっているからね。
理系のほうが校閲向き?
山田:軽部さんからみる校閲に向いている人ってどういう人だと思いますか。
軽部:僕はね。こういう分け方が適切であるかはわからないけれど校閲っていうのは理系の方が向いているような気がするんだよね。
こういう仕事を志望するのは物を読むのが好きだっていう人が多いから、文学的素養が必要なように思うかもしれないけどそんなことはなくて。文学的素養がある意味では邪魔になってしまうこともあるんですよね。
理詰めでやらなければならないことのほうが多くて、こだわりや感情を入れないっていうのかな。この場合はこういう使い方はしてはいけない、これは前後から矛盾するのではないかとか。そういう処理をしなければいけないことはすごく多いような気はしているね。
ただ言葉の使い方っていう側面は文学的素養のうちに含まれていたような気がするのね。だからこだわりとか感情というものを全くなくしていくというのはつらいだろうね。
だから何が向いているかはわからないけれどいろいろな人がいるほうがいいのだし。一つ言えることは僕が校閲に向いていないことだけはわかるよ(笑い)。
山田:軽部さんがそんなこというと自信なくなりそうですよ。
軽部:いやいや優秀ですよ。自信もってください。
訂正を出したら…
山田:最後に、校閲に必要なことはなんだとお考えですか。
軽部:校閲という仕事には職人という言葉はふさわしくない気がするのね。職人っていうのは年数を重ねると熟練してきて同じ水準が保てるものだけれども、校閲の場合は三十何年やっていても初歩的な、なんでこんなところで見落とすのみたいなことはいっぱいあって。何度も何度も似たようなミスを繰り返していくもので。
こういう表現は適当じゃないけど自分の心臓から血が出るというか、新たな傷口がうまれないと人間は忘れてくじゃない。やっぱりつらいのよ。つらいけれども初めてのようにという気持ちで臨まないとだめだなと思う。3年くらいたったらその気持ちは薄れてくるのだけれど、また傷口をつくって再認識するわけ。
手を抜いたつもりはないけれども、思わぬところで自分が誤りに気づけなかった。それは基本中の基本なんてことはいくらでもある。だから、校閲では三十何年やろうが1年目の新人だろうが一緒。もちろん経験則というのはあるだろうけれど、長くやっていたからといってうまくなるわけではないというのかな。それはあるよね、やっぱり。
そういう意味で校閲に名人や職人はいないよね。ある種マゾなのか、ニヒリスティックになるか。そんな感じがするなあ(笑い)。
軽部:だから大それたことは言えないけれど、ただ訂正出したら悔しがることですね。とにかく。悔しがる気持ちは大事。顔に出すかどうかは別にして、その気持ちがなくなったら終わりのような気がするな。
出したら悔しがって、二度とこんな間違いするものかと反省して。あんなに反省したはずなのに忘れた頃に同じような失敗をしてこの仕事に向いていないと思いつつ悔しがってその繰り返しだったな。その思いを忘れないでやっていくしかないのだと思いますよ。
山田:貴重なお話を本当にありがとうございました。
(おわり)
◇やりとりを聞いて
「言葉で迷ったら軽部さんへ」。校閲部の人が若手でもそう思うのは知識や経験はもちろん、いい意味でベテラン感がない物腰の柔らかさと、インタビューするベテランで真っ先に名前が浮かぶような人徳が関係していることは間違いありません。
好きな作家や作品、昔好きだった人の妹を友人2人が取り合う修羅場に呼び出され、そこで着想を得て書いた小説の話をする時の文学大好き少年のような顔。「校閲記者に職人はいない」「つまらないことはおもしろくないこととは違う」。普段なら恥ずかしがって言ってくれないような言葉を引き出せたのは「文学少年」と対等に渡り合い、仕事への不安やほんの少しの毒を吐きながらも聞き役に徹してくれた山田さんだったからでしょう。
心残りは手柄話が聞けなかったこと。「わすれちゃったねえ。覚えているのは失敗ばかり」とはぐらかす笑顔がとても印象的で、「私もです」と同調するのを見てインタビューとしては失敗だったかなと思う一方、2人とも校閲記者っぽくてこれもいいかなと妙に納得してしまいました。
【まとめ・横山康博】