「お~される」という形の敬語表現について伺いました。
目次
「問題ない」「許容」で8割近くに
「先生がお話しされます」という言い方は、尊敬語としてOK? |
問題ない 7.9% |
「お話(を)されます」の意で、許容できる 22.3% |
「お話しになります」の方がよいが、許容できる 48.1% |
「お話しになります」でなければならず、問題あり 21.7% |
「お話しされます」のような「お~される」という形を尊敬語として使うことについて、「問題ない」「許容できる」という人の合計が8割近くに達しました。この使い方は規範的な敬語表現からは外れているとされるものですが、アンケートの結果からは浸透ぶりがうかがえます。
規範的ではない、とされるが…
菊地康人さんの「敬語」(講談社学術文庫)は、今回取り上げた表現について以下のように記しています。
「お/ご~される」という形(たとえば「お読みされる」や「ご出席される」など。特に「ご」の付くほう)を、近年よく見聞きする。これは(中略)「ご出席なさる」「出席なさる」「出席される」がいずれもよいので、「ご出席される」もついよさそうに思えてしまうと言う、かなり自然な類推ではあるし、使う人も確実に増えているので、この形が市民権を得ていくのも時間の問題かと思われるが、しかし、実は規範的には正しい敬語とは認められていないものである。
「近年」とありますが、文庫版のもとになった単行本が1994年の出版ですので、だいぶ前から、と言って差し支えないでしょう。今回のアンケートでも、「問題ない」とは言わなくとも「許容できる」と考える人が多かったことから見て、「市民権」を得つつあることは間違いありません。
同書では「お/ご~される」が規範的でない理由として、回答から見られる解説でも述べたように、謙譲語形「お/ご~する」に尊敬の助動詞「れる」を付けた形にあたるからとする考え方を取っていますが、何より「この形は、およそ敬語を使い慣れた人なら、まず使わない形である(あった)」とも言います。理屈抜きで違和感がある形だということですが、裏を返せば、そこまで敬語に慣れていない人にとっては、あまり気にならない形であるとも言えます。
「日本語には存在しない」という見解も
野口恵子さんの「失礼な敬語」(光文社新書)は「お客様、支配人とお話しされましたか」という例文を挙げて
一見、もしくは「一聞」、尊敬語のようだが、実はそうではない。(中略)「お話しされましたか」というのは「話す」の謙譲語「お話しする」の「する」をレル音の「される」にしたもので、謙譲語由来の尊敬語もどきということになる。「お話しされる」という表現は、日本語には存在しないのである。
と言います。「日本語には存在しない」というのは強烈なダメ出しですが、謙譲語と尊敬語がまぜこぜになったキメラ的な言葉遣いであって、従来のルールからは外れているという趣旨は読み取れます。野口さんは続けて
一方、「話をする」の尊敬表現「お話しをされる」は存在する。そして、くだけた会話では助詞が抜けることがよくある。「お話をされる」から「を」を取ると「お話される」となり、発音上は、尊敬語もどきの「お話しされる」と全く同じだ。
とも言います。音にすると同じ「おはなしされる」ですが、「お話」か「お話し」かで、前者は「一応尊敬語」、後者は「尊敬語もどき」と分けられます。紛らわしいとも言えますが、上掲「敬語」ではこうした「お/ご~をされる」の形についても、そもそも「敬語を使い慣れている人たちにとっては(中略)多少違和感のある表現なのである」と言います。いずれにせよ尊敬語としては微妙である、ということになるようです。
使用の広がりは不可避か
調べた範囲では、「お話しされます」のような形について、標準的な用法として受け入れる見解は見つかりませんでした。ただし、現状についての記述は「市民権を得ていくのは時間の問題」(「敬語」)、「この言い方をする人が非常に多くなっている」(「失礼な敬語」)などとされており、「お~される」という形が尊敬語として使われることは、もはや押しとどめがたい流れとして受け止められているようです。出題者も、一般的な会話においては受け入れられる可能性が高いと考えます。
毎日新聞用語集の「敬語の使い方」の欄では「お食事される→食事される」とするよう案内しているので、もし「お~される」という形の尊敬語が原稿に出てきた場合には修正することになります。もちろんこれは、新聞に載る日本語は、ある程度規範に沿ったものでなければならない、という考え方を前提にしているためです。
用語集の「敬語はできるだけ平明・簡素に、しかも敬意を失わないように使う」という方針は「げにもっとも」なのですが、具体的にどうするか、という点を考えると難しい部分はあります。とりあえず実践的な使い方としては、「お」や「ご」を減らすことで、シンプルな形にすることがむしろ規範に沿う場合もある、ということは言えるかもしれません。
やっぱり敬語は難しい
仕事を離れていうと、敬語というものは使うこと自体が意味を持つ言語行為なので、誤りを気にしすぎて使えなくなることも問題だろうと思います。まず相手に敬意を表そうという意思が伝わることが大事――とはいえ、誤った敬語を使うとかえって失礼に当たるという考え方もあるようで、やっぱり敬語は難しい、ということになるのかもしれません。
(2021年03月30日)
新聞でもたまに見かける「お話しされる」という敬意表現。「話す」という意味で使うのは誤用とされます。一般に「お話しする」というのは謙譲語です。「私から今回の経緯についてお話しします」といった形で使います。
尊敬語としては「お話しになる」が標準的です。ただし、「レル敬語がいわば誰でも使える敬語なのに対し、ナル敬語『お/ご~になる』のほうは多少とも習熟を要する敬語である」(菊地康人「敬語」講談社学術文庫)というように、尊敬の助動詞「れる」「られる」を付ける形が、敬意表現として使いやすいと考えられます。そのため、本来は謙譲語である「お話しする」に「れる」を付けて、「お話しされる」という謙譲語と尊敬語が交じった形になるのでしょう。
一方で、これは「お話」という名詞につく「を」を省略した「お話される」という形なのだとする考え方もあります。「お申し込みされた方から抽選で……」のような言い回しも「お申し込み(を)された」という形なのかもしれません。
敬語は難しいとはよく言われることですが、日本語を使う上で避けて通れないものでもあります。皆さんはどう考えたでしょうか。
(2021年03月11日)