読めますか? テーマは〈天皇〉です。
目次
皇祖皇宗
こうそこうそう
(正解率 53%)歴代の天皇のこと。皇祖は天皇の始祖、皇宗は第2代から前代までをいう。1945年8月15日に昭和天皇がラジオを通して国民に語りかけた終戦の詔書に出てくる。
(2016年08月15日)
選択肢と回答割合
こうそこうしゅう | 43% |
おうそおうしゅう | 4% |
こうそこうそう | 53% |
践祚
せんそ
(正解率 57%)皇位の継承。初代首相の伊藤博文は1887年の会議で「ひとたび践祚された以上は随意にその位をのがれる理はない」と主張したという。
(2016年08月16日)
選択肢と回答割合
せんさ | 28% |
せんそ | 57% |
せんさく | 14% |
喪儀
そうぎ
(正解率 37%)喪の儀式。天皇陛下の「お気持ち」のビデオメッセージによると、天皇の終焉(しゅうえん)に当たって「喪儀」に関連する行事が1年間続くことなどから「行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません」。
(2016年08月17日)
選択肢と回答割合
とむらうぎ | 12% |
もぎ | 51% |
そうぎ | 37% |
殯
もがり
(正解率 87%)「かりもがり」とも。貴人の死後、本葬までに遺体を仮に置いたこと。天皇陛下の「お気持ち」のビデオメッセージに出てきた。昭和天皇の終戦の詔書に比べ平易な言葉が多い中、これだけは難しい。ただし河瀬直美監督の映画「殯の森」でも知られる。
(2016年08月18日)
選択肢と回答割合
いみな | 7% |
もがり | 87% |
もだし | 5% |
皇嗣
こうし
(正解率 63%)皇位を継承するよう定められた者。日本では天皇継承順位1位の皇族を指す。皇室典範に「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」とある。天皇陛下の「お気持ち」とされる「生前退位」の規定は法的にはない。
(2016年08月19日)
選択肢と回答割合
こうし | 63% |
こうじ | 22% |
おうじ | 14% |
◇結果とテーマの解説
(2016年08月28日)
この週は「天皇」がテーマでした。
「生前退位」に関する2016年8月8日のビデオメッセージは「平成の玉音放送」といわれています。そこで改めて終戦の詔書を読み直しました。
戦後71年を経て、国民に直接語りかける天皇の日本語がどう変わったかを見たいと思ったのです。といってもこの漢字クイズでは以前、終戦の詔書の言葉から出題したことがありますのでそれ以外の言葉から探す必要がありました。
そこで改めて「これは難読かも」と思ったのが「皇祖皇宗」です。漢字自体は易しいのですが「宗」の読み方は「しゅう」か「そう」か迷うところだと。果たして正解率53%。この言葉は「教育勅語」でも出てきますが、戦後世代にはなじみのない言葉でしょう。ちなみに「大辞林」によると「皇宗」は「天皇の先祖。第二代綏靖(すいぜい)天皇から前代までの歴代の天皇をさす」。では皇祖が「第1代」を指すのかというと、「天皇の先祖。天照大神・神武天皇など」となっています。第1代がたくさんいるように思えますが、いずれにせよ神話中の人物であり、気にすることはないかもしれません。
「喪儀」「殯」は終戦の詔書に比べ格段に平易になったものの、今回のメッセージに「ルビつき」で載っているものとして出題しました。「喪儀」は今回正解率が最低の結果に。この語は「皇后・太皇太后・皇太后以外の皇族の葬儀」(大辞林)について用いられるとされますが、天皇の場合の儀式を総称していう場合もあります。ただ、今回の毎日新聞の報道では、引用を除き一般になじみ深い「葬儀」の語を使いました。
「殯」は意外にも今回最も正解率が高くなりました。「喪上がり」の意からといいます。ちなみに冬の風の起こす「もがり笛」は「虎落笛」と書く別語です。
「践祚」は天皇の位の継承のことで、まさに今問題になっていることですが、この言葉は「新潮日本語漢字辞典」によると「もと、践祚ののち天皇の下に公示する『即位』の儀式と区別したこともあったが、今は践祚の語を用いない」とあります。確かに今の皇室典範では使われていません。なお「即位の礼」は代替わりしてしばらく後に行われるので、その時点を即位と間違えないようにしなければなりません。
「嗣子」の嗣という字は固有名詞以外見かけることはほとんどなくなりましたが、皇室典範によると「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」とあるので、今回の生前退位問題でにわかに頻出するようになりました。ところで「嗣」の部首って何かお分かりでしょうか。答えは「口」。「新潮日本語漢字辞典」によると「司は神意を伺う意。口は祝詞を収める器。冊は神に告げる意。跡継ぎについて神意を問うことから、後を継ぐ、位に就く意を表す」とのこと。今回天皇陛下が「口」を通して問われた相手は神ではなく、国民でした。まさに主権者である日本国民の「象徴」ですが、神ならぬ国民としてはまことに大きな宿題に真剣に取り組まなければなりません。