読めますか? テーマは〈鼻〉です。
目次
鼻腔
びこう
(正解率 97%)鼻の穴から喉の入り口までの空間。医学関係では「びくう」と読む。鼻孔(びこう)は鼻の穴のこと。
(2017年03月06日)
選択肢と回答割合
びこう | 97% |
はなわ | 1% |
びきょう | 2% |
内供
ないぐ
(正解率 62%)内供奉(ないぐぶ)の略。宮中に奉仕した学徳兼備の僧のこと。芥川龍之介「鼻」で、大きすぎる鼻に悩む主人公は「禅智内供」だ。
(2017年03月07日)
選択肢と回答割合
ないきょう | 11% |
ないぐ | 62% |
だいく | 27% |
鼻白む
はなじろむ
(正解率 30%)気後れすること。または興ざめすること。人が臆したとき鼻の上が白く見えることからという語源説があるが、本当だろうか。花粉症の人は顔半分がマスクの白で覆われる。
(2017年03月08日)
選択肢と回答割合
はなじろむ | 30% |
はなじらむ | 64% |
はなかむ | 6% |
鼻薬
はなぐすり
(正解率 40%)文字通りの鼻の薬のほか「子供をなだめるための菓子」「少額の賄賂」の意味がある。「鼻薬を嗅がせる(きかせる)」は贈賄の意味。先日のNHK「空想大河ドラマ・小田信夫」では鼻薬とは何かが議論されていた。
(2017年03月09日)
選択肢と回答割合
びやく | 57% |
はなぐすり | 40% |
はなくそ | 3% |
鼻息を仰ぐ
びそくをあおぐ
(正解率 64%)他人の機嫌をうかがってびくびくする様子。類語に「顔色をうかがう」「鼻息をうかがう」。中国の歴史書「後漢書」が出典で、「三国志」にも登場する袁紹(えん・しょう)を評する言葉だ。今はトランプ米大統領の鼻息を仰ぐ人が多いかも。
(2017年03月10日)
選択肢と回答割合
びそくをあおぐ | 64% |
はないきをあおぐ | 31% |
はないきをみあぐ | 5% |
◇結果とテーマの解説
(2017年03月19日)
この週は花粉シーズンを意識して「鼻」をテーマにしました。出題者自身も当時鼻水が出っぱなしで「いよいよ花粉症デビューか?」と思っていましたが、単なる鼻風邪だったようです。
「鼻薬」は出題時にも記したようにNHK「空想大河ドラマ・小田信夫」がこの言葉に妙にこだわっていたのが出題のきっかけです。
時を同じくして、某私学関係者が某政治家に鼻薬めいたものを持ってきて某政治家が「無礼者!」と言って投げ返したとかいう三文芝居のようなものが報じられましたが、単なる偶然の一致です。
ネプチューン演じる「小田信夫」では「鼻薬」だけではなく「天下布武」の「布武」って何?という言葉に関する問答がけっこう真面目に交わされており、「無礼者」の演じる三文芝居より数段質が上と思いました。
「鼻腔」は本来「びこう」ですが医学用語としては「びくう」とも読むということが辞書などで認知されたため、漢字クイズとしてはやりにくい語でした。それでもあえて出題したのは、同音で意味も似ている「鼻孔」との使い分けについて記したかったからです。
例えば「ビコウをくすぐる」という場合のビコウは「鼻孔」「鼻腔」のどちらなのでしょう。毎日新聞のデータベースを見るとどちらも同じくらい出てきて割れています。
なぜか国語辞典では「鼻腔」は医学では「びくう」とも読むというのはどれにも書いてあるのですが、「……をくすぐる」の用例は調べた範囲ではほとんど載っていず、三省堂国語辞典(第7版)でようやく「鼻腔」の用例にあるのを見つけました。この言葉が比較的新しい言葉なのかどうか分かりませんが、現代の使われ方に敏感なこの辞書の面目躍如というところでしょうか。
「鼻孔」は単に「鼻の穴」を示すのに対し「鼻腔」は嗅覚をつかさどる器官と位置付けると「鼻腔」が適切だと判断できます。ただ「鼻孔をくすぐる」が間違いといえるかどうか、ちょっとためらいを感じますが……。
「鼻息を仰ぐ」の「鼻息」自体は「はないき」とも「びそく」とも読みます。また「鼻息を仰ぐ」と同じ意味の慣用句「鼻息をうかがう」の「鼻息」も辞書によれば「びそく」「はないき」ともに読むようです。
しかし「鼻息を仰ぐ」に「はないき」とも読むと記す辞書は今のところ見当たりません。おそらく「鼻息を仰ぐ」は「後漢書」という出典が明確なので「びそく」でなければならないという共通認識があるのに対し、「鼻息をうかがう」はそこから派生した表現なのでどちらでもいいという判断があるのかもしれません。
「鼻白む」の「鼻」がない「白む」は「しらむ」とも「しろむ」とも読みます。また「しら」と読むのは「白ける」でも有名です。だから「鼻白む」という言葉を知らないと「はなじらむ」と読んでも不思議ではありません。
ちなみに「大辞林」によると「しらむ」は「興がさめる。しらける」の意味があり「しろむ」は「勢いが鈍る。ひるむ」などとあります。現代の「鼻白む」はどちらかといえば「しらける」の方に近いような気もしますが、読みは対応していないようです。
「内供」は芥川龍之介「鼻」の主人公。国語の教科書に載っていたのを思い出す人も多いのではないでしょうか。発表は1916年。ちょうど100年前と書けないところが残念です。
そういえば昨年没後100年の夏目漱石がこの短編を激賞したことは有名ですが、漱石の「吾輩は猫である」でも、鼻についての講釈が開陳されています。漱石は自分と同様に鼻に着目した作品にシンパシーを感じたのかもしれません。