昔に比べ、当然のことながらインターネットが新聞記事に登場することが多くなった。
毎日新聞では旬の話題をひと味違う切り口で取り上げる「アクセス」、ネット上における情報の真相や背景を掘り下げる「ネットウオッチ」などの記事を昨春から随時掲載するようになり、ますますその傾向は強まりつつある。
SNS、ツイート、インスタ映えといったネット用語を目にしない日はない中、一見ネット用語らしくないが、これはネット用語だと感じる言葉がある。それは「拡散」だ。
前述の「ネットウオッチ」で、ツイッターに投稿したデマが1日余で約6万回リツイートされ、ネット上に個人情報をさらされるなどの「制裁」を受けた男性へのインタビューが掲載されたが、その記事に絡み編集者に質問を受けた。
デマを最初に投稿した人間だけでなくそれをリツイートした人も、その情報によって迷惑を被った人に対して責任があるという内容につける見出しについて、「デマを『拡散させても加害者』でしょうか、『拡散しても加害者』でしょうか」。
「拡散」という言葉について、昔からなじみがあるのは「情報が拡散する」など、広まるものが主語になる自動詞としての用法だろう。毎日新聞の記事データベースで調べてみても、昔から多く使われていた。
一方、「情報を拡散する」というような、広める者を主語とし、目的語を取る他動詞としての用法も近年増えている。そしてそのほとんどが、ツイッターやフェイスブックなどでリツイートしたりシェアしたりするという意味で使われている。
その用法の定着を示すのが今年出た広辞苑第7版だ。2008年の第6版で「拡散」を引くと、物質の濃度が一様になる現象を指す理科用語のほかには「ひろがり散ること」のみだったが、第7版では「ひろめ散らすこと」が加わり、用例に「デマを拡散する」が追加された。
広辞苑6版と7版
12年に第2版を発行した大辞泉ではより顕著である。1990年代に出た第1版では濃度の現象と「広がり、散らばること」だけだったが、第2版では第3の項目を立て、「ツイッターやフェースブックなどのソーシャルメディアにおいて、投稿されたメッセージを多くの人に引用してもらうこと」とし、「以下のメッセージを拡散希望」と用例を載せている。さすがはデジタルに力を入れ、横組みを採用するという大手術を行った大辞泉だ。
大辞泉2版
この追加項目は革命的だと思うが、「多くの人に引用してもらうこと」は少しぼやけている気がする。現在使われている「拡散」は、「多くの人に引用してもらう」という結果より、「ツイッターでリツイートする」「フェイスブックでシェアする」という行為を指しているように感じるのだ。
さきほどの編集者の疑問「デマを拡散させても加害者」「デマを拡散しても加害者」だが、結論としてはどちらもありだと思う。ただ、「デマを拡散させても」が「情報が広がったという結果に加担した」という意味合いが強いのに対し「デマを拡散しても」には「リツイートやシェアを行った」という具体的行動を指すニュアンスがあると感じる。
2018年2月24日の毎日新聞朝刊(東京本社版)より
結局見出しは「拡散させても加害者」に落ち着いた。個人の行動を戒める意味であれば「拡散しても」の方が良かっただろうか。ただ、昔からの自動詞的用法になじんでいる人には違和感があるかもしれない。また、見出しでは「デマを」という目的語が省略されているので、「拡散しても」だと「広めても」か「広まっても」か意味がとりにくくなるおそれがあるだろう。
一年365日、ツイッターやフェイスブックには言葉があふれ、流れていく。今まで使ってきた言葉もそんな文字の洪水の中で使い勝手がいいように組み直されていく。そんな言葉の変化を観察するのも校閲の面白さの一つだと思う。
広辞苑の新版が出るたび新しく加わる語ばかりが取り上げられるが、「ひろめ散らすこと」というたった一言、ひっそり加わった語釈を見つける喜びも、校閲者だけでなく多くの人に味わってほしいものだ。
【水上由布】