読めますか? テーマは〈ごまかし〉です。
目次
抑も
そもそも
(正解率 34%)「抑々」などとも書くが、通常は仮名。もとは主に漢文訓読のための語という。安倍晋三首相は辞書に「基本的に」の意味があると国会で断言。辞書で明記したものは見当たらない。閣議では「大辞林」の「そもそも」に「どだい」があり「どだい」には「基本」とあることを決定。だが後の閣議決定では首相自ら辞書を引いたのではないとした。
(2017年06月05日)
選択肢と回答割合
あたかも | 51% |
そもそも | 34% |
もっとも | 15% |
牽強付会
けんきょうふかい
(正解率 55%)都合のいいように無理にこじつけること。首相が「そもそも」に「基本的に」との意味があるとしたことについて、閣議では「大辞林」の「そもそも」に「どだい」があり「どだい」には「基本」とあることを決定。だが「そもそも=基本的に」は牽強付会との声も上がっている。
(2017年06月07日)
選択肢と回答割合
けんきょうふかい | 55% |
けんごうふかい | 15% |
けんきょうふえ | 30% |
過ちを文る
あやまちをかざる
(正解率 31%)間違いを改めずごまかすこと。論語の「小人(しょうじん)の過つや必ず文る」から。論語には「過ちて改めざる、これを過ちという」という格言もある。
(2017年06月09日)
選択肢と回答割合
あやまちをかざる | 31% |
あやまちをつづる | 60% |
あやまちをつくる | 8% |
◇結果とテーマの解説
(2017年06月18日)
この週は「こじつけ」がテーマでした。
by Wiiii
「またか」と思う読者もいらっしゃるかもしれませんが、またしても「そもそも」論です。
「抑も」の表記について読者から「辞書には『抑』だけで『も』はない」という指摘を受けました。確かに「そもそも」の辞書での表記は「抑」のみか、「抑々」を付記するものが多いのですが、「角川必携国語辞典」(大野晋、田中章夫編)では【抑も】のみを掲げています。
漢字の読み方クイズとして出題する場合、「抑」1字だと「そも」だけという読みもありますし、「抑々」ですと、「よくよく」と読む熟語があることが「全訳漢辞海」(三省堂)など漢和辞典にのっています(意味は「つつしみ深いさま」など)。「抑も」という表記だと、「そもそも」のみが正解になりうると判断し、この表記にしました。
さて、杉本つとむ著「語源海」(東京書籍)の「こじつけ【故事つけ】」の項から一部引用しましょう。
本来関係ないことをむりに道理をつけて、断定を示し、自己主張を正当化すること。〈故事〉を動詞にした言い方。漢語では〈牽強付(附)会〉という。
「そもそも」という言葉に「基本的な」という意味が辞書にあるという首相発言について、政府は閣議決定までして正当化しようとしました。「サンデー毎日」6月11日号で作家・青沼陽一郎さんは「あまりに牽強付会」と記しています。
今回の騒ぎで連想される故事がいくつもあります。
「過ちは好む所にあり」。「成語林」(旺文社)から引くと「失敗は、むしろ自分の得意とすることや好きなことをしているとき、気のゆるみから起こりやすいといういましめ」ということです。
「そもそも」騒動は、民進党議員が「そもそも」を「初めから」という意味と解して質問したことから始まりました。これは一面的な解釈であり、もっと別の追及の仕方があったと思います。首相は苦笑しつつ「辞書で念のために調べてみたんでありますが、これは基本的にという意味もあることもぜひ知っておいていただきたい。これは多くの方が既にご承知のことと思いますが、委員はもしかしたら、ご承知でなかったかもしれませんが、これはまさに基本的にということ」と皮肉を交えて述べたのですが、その時の首相はもしかしたら優越感でいっぱいだったかもしれません。その結果、気の緩みから辞書にないことをしゃべってしまったのではないでしょうか。
「過ちを文る」は論語から。「過失をしたとき、改めようとしないで、その場をとりつくろってごまかす」ということです。「文」は「あや」とも読むように、「かざり」という意味があります。今回は「大辞林」という「文」をつけてごまかそうとしたようです。つまり大辞林には「そもそも」に「どだい」があり「どだい」には「基本」があると。それにしても「基本的に」とは違いますけどね。「的に」ということは例外もあることを色濃く表すのですから。
「鹿を指して馬となす」。その「大辞林」から引用します。
〔秦の趙高が鹿を二世皇帝に献じて馬であると披露すると、群臣は趙高の権勢をはばかって反対を唱えなかったという「史記 秦始皇本紀」の故事から〕自分の権勢をよいことに、矛盾したことを押し通す。また、人を愚弄する。白を黒という。鹿を馬。
しかし結局、首相自ら辞書を引いたのではないということを後に閣議決定しました。つまり誰かのせいにしたということは、前の閣議決定の「そもそも=どだい=基本的に」という論理が無理だったことを物語っているのではないでしょうか。それでも臣下としては「過ちを補い遺(お)ちたるを拾う」(主君の過失や欠点を補佐するのが臣下の任務ということ)と、あくまでも首相を擁護するために閣議決定を重ねたのでしょう。でも、やればやるほど「誤りを以て誤りを続(つ)ぐ」という結果になっているようです。
首相は「念のために辞書で調べた」と強調しました。ここに主語はないものの、日本語の受け止め方として主語がないと「私は」が略されているものと普通思います。自分で調べていないのに「調べた」と、首相がうそを言ったように受け取れる閣議決定をしてしまっているのです。
誤解のないように言うと、「そもそも」の使い方として「基本的に」に置き換えられる文脈は多々あります。だから、あの場面ではそういうニュアンスで言ったのだと、皮肉抜きで丁寧に説明すればよかったはず。しかし、実際はどうだったか。閣議決定によれば自分で調べたのでもないのに、しかも参照辞書の明示もなしに「辞書で調べた」としたうえで、「基本的に」という意味があると断言しています。辞書を見ない人が「辞書」なんて言わないでほしいですね。
最後にもう一つ格言を。「綸言(りんげん)汗のごとし」。これを2月の国会で首相が野党に向かって用いています。
綸言汗のごとしといって、離れた言葉はそう簡単に、テレビの前で離れた言葉は戻ってこないんですよ。ですから、そういうイメージ操作は厳に慎むべきなんですよ。
綸言は天子の言葉という意味であり、拡大するにしても君主・首相など一国のトップの言葉というのが普通の使い方だと思いませんか。野党を批判するさいに使う首相の言語感覚を疑います。いや、この文章も「イメージ操作」とみなされそうですので、「野党でも国会議員なら天子と同等」と首相は見なしているということにしておきましょう。