「~を評価」というだけで褒めているように感じられるかについて伺いました。
目次
「褒めている」が最多、「困る」も3割
「読者が内閣改造を評価」と書いてあったら、どう受け取りますか? |
改造を褒めている 48.6% |
改造を採点・値踏みしている 21% |
上のいずれかはっきりせず困る 30.4% |
「褒めている」が最多で5割弱、「採点している」が2割でしたが、「はっきりせず困る」という人が3割で一定の割合を占めています。現状では「評価」を単独で用いると「プラス評価」と受け止めやすいことと同時に、それだけでは意味を取りあぐねる人がいることも前提とした用語の吟味が必要と言えます。
変化してきた「評価」の意味
NHKの「ことばのハンドブック第2版」(2005年)では「評価する」の項目で次のように述べています。
従来、「高く評価する」「努力のあとが見られると評価する」のように、(主にプラスの)評価の程度や理由を表す語とともに使われてきたが、最近は、この語単独で「価値を認める」の意味で使われるようになっている。
「最近は」というのはいつごろからなのか気になりますが、回答から見られる解説では、広辞苑3版(1983年)の「評価」の項目にはなかった「特に、高く価値を定めること」という一文が4版(91年)で付け加えられたことを取り上げました。NHKのハンドブックの記述も、使用の実態とともに、こうした辞書類の変化に基づいたものでしょう。
大正期からプラス評価に見える例も
日本国語大辞典では「評価」の項目中、旧版(1972~76年)にはなかった「価値があるとすることをもいう」という一文が2版(2000~02年)で付け加えられています。しかし、用例重視の日国にしてなお、この説明に即した用例は挙げられておらず、いつごろから用法が広がっていったのかは判然としません。
ウェブ上の図書館「青空文庫」を見ると、与謝野晶子「『女らしさ』とは何か」(1921年)には「その人たちは、家庭の楽み以上に、自己の専門的生活を評価しているのです」というくだりがあり、大正期において既に「評価」という言葉が単独でも「高く評価」のように使われる場合があることを示しています。ただし、こうした単語の意味は文脈からくみ取るところが大きく、幾つかの例のみを取り上げて、「評価」の意味が広がったと結論づけることは難しそうです。
用法の浸透を反映する「新聞の見出し」
ここで、独立して読まれることを意識して付けられる「新聞の見出し」は、意味が明瞭でなければならないという点から、用例として参考になるかもしれません。67年の社説に付いた「内閣改造を評価する」という見出しがあくまで「採点」を意味した一方で、73年の「米ソSALT宣言を評価する」という見出しはプラス評価の意味で使われていました。
一目で読者に意味を読み取ってもらわねばならない新聞の見出しで、「評価する」の使い方が変わっているということを面白く思います。少なくとも70年代には「評価する」を単独で使っても「プラス評価」の意味に取ることが広く浸透していたと考えられるからです。今回のアンケートで「褒めている」が最多になったのも、こうした意味の浸透が続いていることの反映と言えそうです。
意味が伝わるか、よく気をつけたい
ところで、今回のアンケートのきっかけになった「読者が内閣改造を評価」という見出しが付いた記事は、決して褒めてばかりいるものではありませんでした。しかも「意味がはっきりせず困る」という人も3割。見出しを付けた記者の意図が伝わった人は2割に過ぎず、新聞編集に携わる者として猛省します。「読者が内閣改造を採点」などと言い換えるか、「内閣改造 読者の評価は」のように「評価」の意味がもっと分かりやすくなるような語順にすべきでした。一般的にも、高い評価を与える場合以外に「~を評価する」のような書き方をすることは避けるのが安全だろうと考えます。
(2019年10月22日)
「評価する」というと「褒めている」と思ってしまう――こういう受け止め方は、実は最近のものかもしれません。広辞苑7版の「評価」の項目には「①品物などの価格を定めること。また評定した価格。②善悪・美醜・優劣などの価値を判じ定めること。特に、高く価値を定めること」という説明がありますが、「特に、高く価値を定めること」というくだりが加えられたのは4版(1991年)から。3版(83年)までは「評価」の語だけでプラスの価値判断になるという説明はありませんでした。
毎日新聞の過去記事を見ると、社説には時々「○○を評価する」のような見出しが付きますが、67年某日のものは「内閣改造を評価する」という、今回の質問そのもののような見出しでした。中身を読むと「改造の意義がよくわからなかった」「党内事情からは、こういう方法しかとれないのかもしれない」などと、褒めているわけではありません。
しかし70年代になると潮目の変化が感じられます。73年の「米ソSALT宣言を評価する」という見出しの社説は、SALT(戦略兵器削減交渉)に関して「困難を建設的に克服するための第一歩として評価したい」と、明らかにプラスの判断を示しています。この前後から「~を評価する」というだけでプラスの意味を帯びるようになったと考えられそうです。
今回の質問の文言は紙面で実際に使われた見出しなのですが、そこに載っている読者の意見は改造に対して批判的なものが多く、誤解を招く見出しであったかと気になります。皆さんの受け取り方を伺って、今後の参考にしたいと考えております。
(2019年10月03日)