今年入社した新米校閲記者です。働き始めて意外だったことはたくさんありますが、一番驚いたのは白黒はっきりさせられないことが多いということです。入社までは、言葉も事実関係も正解か間違いかの二択で、間違いがあれば唯一絶対の「正解」に何のためらいもなくすぐ直せるものだと思っていました。
ですが、そう簡単にはいかないんだと感じた出来事がありました。入社してすぐ、インタビュー(コメント)で「自分の『心情』に従って判断する」という文を校閲しました。「信条」とかなり迷いましたが、取材した記者が「心情」と判断して原稿を書いてきたのだから、と「心情」のまま校了しました。
すると他本社の校閲から「信条」の方がいいのではという指摘があり、デスクが出稿部と相談した結果、「考え」になりました。このとき、校閲は簡単で単純なものではなく、迷って考えて、やっと直せるものなのだと目からうろこが落ちました。でも、そんなに迷えて考えられるのは時間があるときだけで、降版時間に追われているときはそうはいきません。
書き手の意思、伝わりやすさ、日本語のルール、そして何よりも新聞の宿命である時間との闘い……。文章と向き合うというたった一つの行為をしているように見えて、実は同時に多くの事柄を考えながら行っているのが校閲という仕事なのだと感じました。
【田中綾乃】