「壮絶」という言葉をどう受け止めるかについて伺いました。
目次
辞書に載る意味を選んだのは少数派
「壮絶」な戦いを経験した――どんな戦い? |
きわめて悲惨で厳しい 24.5% |
きわめて勇ましく激しい 14.9% |
程度が甚だしく、すさまじい 53.9% |
上のどれでもよい 6.8% |
辞書の説明から想定される「正解」の「勇ましく激しい」を選んだ人は15%に届かず、「甚だしく、すさまじい」が最多で過半数を占めました。「悲惨で厳しい」も4分の1程度を占めており、多くの人の受け止め方が「勇ましい」からは離れていることがうかがえます。
「壮」は「盛大、強い、勇ましい」
「壮」は「壮勇、壮健の意より、すべて盛大なものをいう語となり、壮烈・壮節をいい、また壮大・壮麗・壮観のように用いる」(白川静「字統」)。「絶」は「絶妙よりして絶無・絶高など比類を絶する意となったものであろう」(同)。白川氏はまた「字通」において、「壮」の訓義の第一を「さかん、つよい、いさましい、大きい」としています。要するに、「比類を絶」して「盛大」で「強い、勇ましい」さまをいうのが「壮絶」ということになります。
確かに「壮」を使う言葉にネガティブな意味を持つものはないようです。「壮」で終わる言葉にしても「少壮」は年が若く元気なこと、「広壮」といえば建物などが広く立派であること、「悲壮」であっても「悲しい中にりりしさのあること」(日本国語大辞典2版)ですから、立派である、勇ましいといった意味は文字から不可分のものと考えてよいでしょう。
「絶」につないで意味を強調する言葉は日本語ではあまり見慣れないのですが、「哀絶」は「非常に悲しいこと」(大辞泉2版、以下も)、「奇絶」といえば「きわめて珍しいこと」、「妙絶」は「きわめてすぐれていること」ですから、「壮絶」も「きわめて勇ましく激しいこと」となるのは自然なことと言えるでしょう
「壮絶」はどんな時に使えるか
さて、では「壮絶」はどんな時に使えるでしょうか。アンケートの問いでは「壮絶な戦い」と例示しましたが、兵器の進化した現代の戦争においては「勇ましい」という言葉は使いようがないだろうと思います。使うとすれば歴史的な文脈か、あるいはスポーツや格闘技、将棋などでしょうか。
毎日新聞の紙面から「壮絶」の用例を拾ってみます。ボクシングの「双方最後まで倒れることなく、壮絶な打ち合いを繰り広げた」という記事は、相手に向かっていく姿勢が競技者に必要であり「勇ましい」という字義がなじみます。囲碁の記事中「互いの深い読みがぶつかり合う壮絶な戦いとなり、難解なヨセ勝負に突入したが……」というくだりは、それぞれが力を尽くして盤上の戦いを繰り広げるさまについて、比類なく「壮」であると言ってもよさそうです。
一方で「学徒動員で鉄血勤皇隊に加わり、壮絶な地上戦を目の当たりにする」のような記述は、本来なら「凄絶(せいぜつ)な地上戦」などとすべきところでしょう。ただし、今回のアンケートの結果から見て、多くの人が「勇ましい」ではなく「甚だしい」ないし「悲惨」であると受け止めていることを考えれば、ただちに直すべきものとは言えないのかもしれませんが……。
「想像を絶する」との混同か
「壮絶」がなぜ「甚だしい」「すさまじい」「悲惨」といった意味で受け止められがちなのか。これは、「絶」の文字が「言語に絶する」「想像を絶する」といった言い回しと混同されているのではないかと見ています。特に「想像を絶する」は、「そう(ぞう)」「ぜっ(する)」という音を「壮絶」と共有しているため、混同の対象として有力ではないかと考えます。
たとえばインターネットの「pixiv百科事典」の「壮絶」の項には「想像を絶すること」とあります。根拠は示されていませんが、少なからぬ人が「壮絶」をそのように受け止めているという傍証にはなるでしょう。
今回のアンケートの結果からは、「壮絶」の受け止め方が旧来の意味とは離れてしまっていることが分かります。ただし、それを言葉の変化として受け入れるには、「壮絶」の含む文字の意味が明らかにプラスの方向を示しており、ためらわないわけにはいきません。「すさまじい」「凄絶」など言い換えにふさわしい語も存在します。仮に文章を書く際に「壮絶」を使いたくなるようなことがあったとしても、「勇ましい」「壮烈」といった意味合いがない場合には、使用を控えて言い換えることをお勧めします。
(2019年09月20日)
「壮絶」の辞書による説明は「きわめて勇ましく激しいこと」(大辞泉2版)、「はなはだ勇壮なこと。極めて壮烈なこと」(広辞苑7版)など。従って、今回の問いでは「壮絶」という言葉が使われている以上、「勇ましい激しい戦い」という読み方のみが「正解」ということになります。
しかし、インターネットで「壮絶」の使われ方を見てみると、どうも雰囲気が違います。「壮絶ないじめを経験した」「サヨナラ満塁弾を食らって壮絶なサヨナラ負け」「壮絶な悩みを抱えた人もいる」「東京大空襲の壮絶な光景が描かれている」――。いずれも新聞社や出版社などのサイトで拾った例で、それなりの書き手が書いているはずですが、「勇ましい」要素はほとんど感じられません。むしろ「悲惨」に近い意味で使われるのが目立ちます。
もっとも、これらの「壮絶」には「凄絶(せいぜつ)」などに置き換えられるものもありそうで、程度が甚だしい、すさまじい様子を表している可能性もあります。「すさまじい」が持つ「恐怖を感ずるほどすごい」(大辞林3版)というニュアンスを込みにして使われているかもしれません。
校閲記者としては辞書にある「勇ましい」に沿って使いたいところですが、皆さんの受け止め方が気になります。辞書から外れる意味が回答の大多数を占めるようなら、「壮絶」は新しい意味が多くの辞書に載るまで「お蔵入り」にした方がよいかもしれません。
(2019年09月02日)