「腑(ふ)に落ちない」という言い回しを肯定形でも使うかどうか伺いました。
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「言う」が過半数占めたが…
納得できないことを「腑(ふ)に落ちない」と言いますが、納得できれば「腑に落ちる」と言いますか? |
言う 56.5% |
言わない 43.5% |
「言う」という方が過半数ですが「言わない」方も4割超。違和感を持つ方も少なくなさそうです。
よく見るのはやはり「落ちない」
「腑に落ちる」を載せている辞書はいくつか見つかります。大辞泉2版では「腑に落ちない」を「納得がいかない。合点がいかない」、「腑に落ちる」を「納得がいく。合点がいく」とシンプルに対比させており、織田作之助の「大西質店へ行けと言った意味などが腑に落ちた」という用例を挙げています。
しかしネット上の「青空文庫」で検索すると「腑に落ちる」「腑に落ちた」はそれぞれ十数件、対して「腑に落ちない」は200件以上。これだけの大差がつくことから見るに、やはり「否定の意で使うのが伝統的」(明鏡国語辞典2版)なのは間違いありません。
「腑に落ちる」を載せている日本国語大辞典2版の編集者、神永暁さんも「実際の使用例は圧倒的に『腑に落ちない』の方が多い」として「下に否定の語を伴って使うのがふつうなのではないか」と思い、「腑に落ちる」には少し違和感があるといいます(「悩ましい国語辞典」時事通信社)。「腑に落ちる」と言わないという人の感覚がおかしいわけではありません。
「腑に落とす」をあげる辞書も
三省堂現代新国語辞典6版では肯定形・否定形の両方を掲載しており、「腑に落ちる」の由来として「食べた物が腹におさまるということから」と解説しています。さらには「自分を納得させる。深く了解する」という意味で「腑に落とす」という表現も掲載しています。
これは見たことがありませんでしたが、新明解語源辞典には「段々聞くほど母親は腑に落としかねる」という尾崎紅葉「多情多恨」の用例が載っていました。こういう他動詞形まであるわけですから、「腑に落ちない」が固定された形だとは考えなくてもよさそうです。
毎日新聞は言い換えを奨励
毎日新聞用語集では「腑に落ちない」という表現は「納得できない、合点がいかない」などと言い換えるよう促しています。「腑」が常用漢字でなく、基本的に新聞では使わない漢字であり、言い換えた方が理解しやすいためです。「腑に落ちた」と言わず「納得した」と言い換えるのは、違和感を与えないという意味でも平易な言葉で伝えるという意味でも有力です。
それでも、胸のつかえがとれてスッキリした!と実感したときに「腑に落ちたわー」と口を突いて出るのは決して誤りではありません。神永さんも「辞書としては『大辞泉』のように両形示すのが妥当なのかもしれないと思い始めている」(同書)そうです。
(2019年07月16日)
今年春の関西地区新聞用語懇談会で議論された言葉です。慣用は否定形の「腑に落ちない」だが、時々見かけるその肯定形を認めてよいか、という問いかけでした。
掲載している辞書はちらほら見つかります。三省堂国語辞典では「ふに落ちない」の項目に、2008年の6版から「肯定形は『ふに落ちる』」という記述が加わりました。明鏡国語辞典2版では、「否定の意で使うのが伝統的だが、近年は『腑に落ちる』の形で納得がいく意で使うこともある」と説明されています。
では最近現れた形なのかと思いきや、日本国語大辞典2版では「腑に落ちる/腑に入る」で見出しを立てており、「納得できる。合点がいく。多く、下に否定の語を伴って用いる」とあります。むしろ肯定形が基本だとも取れる書き方で、用例としても明治時代の徳富蘆花を引いています。伝統的な形でないとは言えないほどの歴史があるようです。
「腑に落ちない」の「腑」とは内臓、心の底のこと。そこにストンと納まらず、何か引っかかった状態が「腑に落ちない」。とすればその引っかかりが解消されれば「腑に落ちた」=納得した、という表現は、出題者としては分かりやすいと思うのですが……この考え方は腑に落ちない、という人もやはり多いのでしょうか。
(2019年06月27日)