「多くの大臣を輩出」といった表現が気になるか伺いました。
目次
「気にならない」が半数占める
「多くの大臣を輩出した名門」といった表現、気になりますか? |
「を輩出」でなく「が輩出」の方がよい 11.3% |
「多くの」と「輩出」の意味が重なりくどい 28.4% |
上の両方が気になる 8.9% |
いずれも気にならない 51.4% |
「多く輩出」がくどいと感じる方は4割近く。また「~を輩出」より「~が輩出」がよいと考える方も意外と多く、2割程度でした。とはいうものの半数の方は「気にならない」と回答。どうやらそこまで違和感を与える表現ではないようです。
他動詞化は容認が進む
「~を輩出」の形について新聞・通信社の用語集を見ると、「本来は自動詞だが、他動詞として使ってもよい」(時事通信)、「本来は自動詞だが、最近は他動詞としての用法が一般化している」(朝日新聞)と使用を認める記述が見つかり、誤用だとするものはありません。辞書でも許容するのが多数派です。毎日新聞で今年「輩出」が使われた記事47件のうち、自動詞として使っていたのは1件のみ。他動詞形が圧倒的に多いのが現状です。
このように他動詞形が優勢になってきた原因には、同音でよく使われる「排出」の存在があるでしょう。こちらは「ごみを排出する」のように他動詞形のみで使われ、同様の感覚で「~を輩出する」が多く使われたと考えられます。といっても排出は「中にたまっているいらないものを外へ押し出すこと」、輩出は「続々とつらなり出ること。多く、才能あるすぐれた人材にいう」(広辞苑7版)ということで、出てくるものには大きな違いがあるのですが……。
「多く輩出」も使用例多数
「多く輩出」の形については日経新聞用語集が、「多くの人材が輩出」は重複表現なので「多くの人材が世に出る」もしくは「人材が輩出」とするように注意喚起をしていました。
しかし「新潮日本語漢字辞典」では、司馬遼太郎の「国盗り物語」から「その種の工芸的なまでの戦術家の型は、多くは甲州、信州、美濃北部といった地形の複雑な地方に多く輩出している」という用例を引いていました。また、福沢諭吉は自らの塾の精神・主義を知らせるための「慶応義塾之記」で、蘭学者が続々現れたことを「宇田川榛斎父子、坪井信道、箕作阮甫、杉田成卿兄弟及緒方洪庵等、接踵(せっしょう)輩出せり」と表現しています(「福沢諭吉著作集 第5巻」慶応義塾大学出版会)。「接踵」とはかかとが接するように人が続々と来ること。
さらに大隈重信は早稲田大学設立30年の祝典での演説において「吾人(ごじん)はこの大学より時代の要求に応ずる人才の数多(あまた)輩出することを希望しておったのである」と述べています(早稲田大学編「大隈重信演説談話集」岩波文庫)。各界に人材が(を)輩出した慶大、早大両校の創設者も、「続々輩出」「多数輩出」のような、厳密には意味が重複する表現を用いていたわけです。
基本の意味を押さえればOK
こうしてみると、「~を輩出する」の形も「多数輩出」のような形も、アンケートで過半数の方が「気にならない」という通り、大きな違和感を与える表現ではないようです。後者は避けた方がスマートになる、という程度でしょうか。それよりは「輩出/排出」の変換ミスをしていないか、「すぐれた人材」が「続々と」出たわけではないのに「輩出」を使っていないか、といったことに注意するのが第一のようです。
(2019年06月18日)
「輩出」は新聞記者でも使い方を誤りやすい言葉で、以前にも当サイトで写真のような直しを紹介しました。
一つは「世に出ること」という意味ならば自動詞であり、「~を輩出」のように他動詞として用いるのは変ではないかということ。もう一つは、「多く輩出」という表現は、「輩出」にそもそも「多く、続いて」という意味が含まれていることを理解せず使ってしまう重言ではないかということ。
自動詞/他動詞問題については、新選国語辞典9版のように自動詞としか認めない辞書もありますが、他動詞でもあるとするものが多数派。元々は自動詞として使われていたのですが、最近は「~を輩出」の形が圧倒的に多い印象です。気になるという人は少ないと思われ、校閲で直すことはありません。
対して「多く輩出」は、「輩出」が誤用されやすいことを知っている人ほど気になってしまうかも。校閲としても直すか迷うところですが、皆さんはどう感じるでしょうか。
(2019年05月30日)