「味わう」を使役の形にするとどうなるか伺いました。
目次
「正解」は半分に満たず
同じ苦しみを「味○せて」やる!――ちゃんと言うなら、どう言いますか? |
味あわせて 36.5% |
味わせて 17.7% |
味わわせて 45.8% |
正解とされる「味わわせて」を選んだ人が最多ではありましたが、割合は半分に届かず。「味あわせて」を選んだ3分の1超という数は、誤りと言って済む程度を超えていると感じます。「味わせて」も6人に1人ほどが選び、一定の浸透をうかがわせます。さて、どう考えればよいでしょうか。
辞典・用語集は誤りとする「味あわせて」
まずは国語辞典から。「『味あう』『味あわない』『味あわされる』とするのは誤り。正しくは、『味わう』『味わわない』『味わわされる』」(明鏡国語辞典2版)。いわゆる「誤用」に厳しい明鏡はスパッと切ってくれます。これに従えば「味あわせる」も誤り。日本国語大辞典は「あじあう」の項目を立てていますが、説明は「『あじわう(味)』に同じ」というもの。用例があったので採録したのだと思われますが、本流の使い方とは見なされていません。
毎日新聞用語集も「あじわう」の項目で「[注]『味あう』は誤り」とし、さらに「あじわわせる」の項目を立てて「味あわせる」と書かないように案内しています。他の新聞・通信社の用語集もみな同様です。基本的には「味あわせて」のような使い方は避けるべきだと言えます。
「味あう」について文化庁の「言葉に関する問答集20」(1994年)は「ワウ」を取る形が「会う」などの「アウ」とともに「文語の読み、また地方に残るウ音便形などの『アジオー(テ)』『ニギオー(テ)』(中略)『オー(テ)』(中略)からの誤った類推で、『アジアウ』『ニギアウ』に変化しやすいのかもしれない」と考察しています。ただし、結論は「味わう」を取るとしており、未然形の場合も「味わわせて」が正しいという判断に揺るぎはありません。
「わ」の重なりが気になる向きも
しかし、「味わわせる」という語形の「わ」の重なりが気になるという人もあるでしょう。ツイッターのコメントでは「違和感があるので『味わせて』を使う」という声もありました。
動詞の活用しない部分、語幹が「わ」で終わる動詞でよく使われるのは「にぎわう」「いわう(祝う)」ぐらい。「にぎわう」はひとまずおき、「祝う」は「祝わない」「祝わせる」になってもあまり違和感がないと見えるのは、語幹が短いせいか、あるいは表記上「わ」が重ならないせいでしょうか。「いあわない」はむしろ言いにくく、「いあわせる」ではもはや別語に見えます。「味あわない」としたくなる場合には、「でも『いあわない』とは言わないよなあ」と思い返してみるのもよいのではないでしょうか。
「にぎわす」はOK、「味わす」は?
「にぎわう」は「味わう」同様、「にぎ+わう(はふ)」という形を持つ動詞で、未然形は「わ」が重なる「にぎわわ+ない」のような形を取りますが、使役の場合は話が違ってきます。「にぎわう」には使役の意味を持つ他動詞「にぎわす(にぎわせる)」があるからです。
通常なら「にぎわう」に使役の助動詞「せる」を付けると「にぎわわせる」になりますが、「にぎやかにする」という意味は「にぎわす(にぎわせる)」でも同じです。辞書によっては動詞「にぎわわす」を載せるものもあり、どれを使っても同じ意味で、間違いとされません。
しかし「味わす(味わせる)」を見出し語に採用している辞書は見つけられませんでした。ただ三省堂国語辞典だけが「味わう」の項目中に「[他動]味わ(わ)せる・味わ(わ)す」として、「わ」を一つ抜いた表記が可能であると示しているのが目立ちます。
青空文庫を検索してみると「どうか己にもう少し生を味わせてくれ」(芥川龍之介「青年と死」)のような、一見「味わせる」にみえる例が引っかかるのですが、かつては語幹部には送り仮名を付けないことが多かったので、これは「あじわわせてくれ」と読む可能性が高いものです。現状においては「味わせて」もやはり規範から外れており、お勧めできる書き方とは言えません。
「味わわせる」がしっくりこないなら…
しかしながら「味わわせる」を選ばなかった人が55%いたというのは事実です。この語形がしっくりこないならいかにすべきか。率直に言うと、解決法は見つかりません。どうしてもというなら「未然形を使わない」のがよいでしょうか。
「味わわされる→味わうことになる」「味わわせる→味わってもらう」など。「味わわない」はあまり使わないかと思いましたが、「味わわないわけにはいかない」のような形はあり得るでしょうか。「味わってみないわけには……」など考えますが、無理筋ですね。うーん。
この調子だといずれ、未然形については「味あわない」「味あわせる」が「味わわない」「味わわせる」と並立する可能性が高そうです。ただそれでも、現時点の本筋は「わ」を重ねる方だということは覚えておいてほしいと思います。大事な場面で「味あわせてやる!」と言われたら、「ここは『味わわせてやる』だから、ちゃんと言い直して!」という感じでお願いいたします。
大江健三郎氏の「味あう」
ところで、「味わわせる」については読売テレビの道浦俊彦さんの「とっておきの話」でも取り上げられており、道浦さんは辞書編集者の飯間浩明さんの話を引いて、大江健三郎氏が小説で「あじあう」という表記を用いることを紹介しています。
大江氏の書いたものでは、毎日新聞の過去記事にも「味あう」の表記が出ていました。氏の結婚式の当日、媒酌人の渡辺一夫にホテルのバーへ誘われた際、渡辺が大江氏の注文もしてくれたといい、
――新郎は麦酒、しかし上等のハーフ・アンド・ハーフを作ってもらいます。
――これだけ「好きなもの」は初めてです、というと、
――今夜は、もっと好きなものを味あわれるでしょう、と返された。(毎日新聞2008年1月6日朝刊)
ラブレーの紹介者である渡辺らしいエピソードと言いますか。しかしこんな場面でも出てくる「味あわれる」は大江氏の書きぐせなのでしょう。
もちろん高名な作家であるからといって、その書くことが文法的にも常に正しいというわけではありません。「悪文家」とされることも多い大江氏の書きぐせは、それを個性と認める編集者や読者あってのものです。用例としての価値は別として、一般的にそれをまねることはお勧めできないと申し上げます。
(2019年05月10日)
タンカを切るなら正しく切りたいもの。問いは「味わう」の使役の形で、正解とされるのは「味わわせる」なのですが、考えることの多い言い回しです。
「わう」という接尾語は「体言またはそれに準ずる語に付いて、五段または下二段活用の動詞を作る」(広辞苑7版)。例に挙げられるのは「味わう」と「にぎわう」。他の辞書には「幸(さきわ)う」も出ていますが、日常的に使うのはさきの二つでしょう。
「わう」は旧かなで「はふ」と書きますから、「あう」にはならないはず。ですから使役の形であっても「味あわせる」は誤りということになりますが、「わ」が重なることを嫌ってか「味あわせる」も比較的よく見ます。
一方で「にぎわう」は使役にすると「にぎわす」「にぎわせる」「にぎわわす」といった形が考えられます。これに倣えば「味わす」や「味わせる」があってもおかしくないとも見えます。
おそらくは「正解」である「味わわせる」を選ぶ人が多いだろうと想像しますが、迷うことがあるという人もいそうです。この機会に考えてみてはいかがでしょうか。
(2019年04月22日)