「汚染水が海に流れた」という記述。汚染をもたらした主体がない文です。では沖縄戦で「逃げ場を失って自決した民間人もいました」は? 20年前の教科書検定では「集団自決」の日本軍の関与が削除され大問題に。今も時代錯誤的な教科書がパスしています。

目次
水俣病の原因の主語は?
水俣病公式確認から70年。水俣病そのものについての記事ではありませんが、その地の話題として水俣病に触れた外部ライター原稿にこんな説明がありました。
工場から出た汚染水が海に流れた
間違ってはいませんが、このまま通すわけにはいかない表現と思いました。私は「海に流れた」を「海に流されていた」としては?という提案とともに、以下の意見を添えました。
「元の文だとチッソ工場の知らないうちに自然に流れたようにも見え、被害者が読むと怒るのでは? もっと強めると『工場が汚染水を海に流していた』とかでもいいかもしれません」
その結果、紙面では「流されていた」に直りました。筆者は毎日新聞の記者ではないし、最低限の修正で手を打つのは編集者としては穏当な線なのでしょう。私も当初はそれで満足していました。
その後、大江健三郎さんのエッセーを集めた「定義集」(2012年刊)という本をパラパラめくると、こんな部分が私の目を射ました。
文章から主語を隠す、そして受け身の文章にしてツジツマを合わす。そうすることで、文章の意味(とくにそれが明らかにする責任)をあいまいにする。
それが日本語を使う私らのおちいりやすい過ち、時には意識的にやられる確信犯のゴマカシです。
ここを読んで、「工場が汚染水を海に流していた」でもいい、ではなく、こちらをこそ主に修正案として提示すべきでなかったでしょうかと、大江さんに丁寧かつ鋭く論難されている気分になりました。
当の筆者は意識的に工場の責任をごまかす「確信犯」(これは議論のある言葉ですが)ではないでしょうが、水俣病の知識の風化が叫ばれる中、最低限の事実関係をおさえて書くことは必要だったなと思います。
「怨」の字のインパクト
水俣病に関しては、某アニメなどを取り込んだテレビCMで有名な家庭教師の会社が、オンライン教材で「遺伝してしまう」と誤った記述を発していたことが最近問題になりました。こういう基本的な認識さえ見逃されているのが、公式確認から70年の現況です。
私自身も水俣病にさほど強い関心を持っていたわけではありません。ただ、毎日新聞の4月27日に載った「怨」の幟(のぼり)旗の写真を見て思うところがありました。円満字二郎さんの「昭和を騒がせた漢字たち――常用漢字の事件簿」(吉川弘文館)という2007年刊行の本に「怨」の字と水俣病について一章が設けられているのを思い出したのです。

「怨」は常用漢字ではありませんが、「恨」では代用できない「唯一無二の漢字」と円満字さんは書きます。実際、引用された毎日新聞社会面(1970年11月28日)に「十数年間の『怨念』」とあります。当時の当用漢字規制を適用すると「おん念」とするか「恨み」になるはずが、当時の記者もデスクも校閲もそれができなかったということです。
円満字さんによると、「怨念」「怨霊」は中国語の辞書には出てこない日本独自の熟語だそうです。その怨念も怨霊も、今の毎日新聞ではルビを付けて使うようになっています。
今回私が「汚染水が海に流れた」という語句にこだわったのも、怨の字のインパクトが頭のどこかに残っていて、これでは非業の死を遂げた人々が浮かばれないと感じたからにほかなりません。詰めが甘かったようですが。
教科書の「集団自決」で軍関与削除
さて、大江健三郎さんが「定義集」で問題にしたのは、沖縄戦の集団自決についての高校歴史教科書の記述でした。
大江さんは本のもとになった連載時、「沖縄ノート」裁判(※)で訴えられていたのですが、その裁判とからんで、高校教科書から沖縄戦での「集団自決」を日本軍の強制とする記述が消えたことを受けたものです。
(※沖縄住民に集団自決を命じたと虚偽の記述をされ、名誉を傷付けられたとして、旧日本軍の隊長らが大江さんと出版元の岩波書店に出版差し止めと損害賠償を求めた訴訟。2011年に最高裁が棄却決定)
そして今年5月23日の毎日新聞では、辺野古への修学旅行での事故で文部科学省が高校への教育基本法違反を認定したことにからみ、まさにその集団自決の教科書記述で検定意見が付き修正された06年のことに触れられていました。

2007年3月31日毎日新聞朝刊より
記事では詳しく書かれていないので、以下は私が調べたことです。あからさまにその修正を迫ったのは首相官邸であることが、照沼康孝著「日本史教科書検定三十五年――教科書調査官が回顧する」(25年刊)で述べられています。
教科書課幹部は二言目には「官邸が」と言い始めていた。
事務からの要求は厳しく、ゼロ回答では済みそうになかった。
ちなみに当時の首相は第1次政権時の安倍晋三さんです。結果として、高校歴史教科書のシェアがトップとされる山川出版社は2007年用の「日本史A 改訂版」でこのように書き換え、いったん検定をパスしました。
日本軍によって壕を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった。
↓
日本軍に壕から追い出されたり、自決した住民もいた。
「たり」が足りない欠陥日本語を通した文科省
日本語として、校閲として、理解に苦しむ改変です。これは「集団自決」が日本軍の命令とうかがわせる記述に文部科学省の検定意見が付いたことへの対応でした。しかしこの「たり」をどう読み取ればいいのでしょう。
「たり」は複数続けて並列にするのが規範なので「自決したりした住民もいた」となるべきですが、うっかりしたのでしょうか。それとも書いていない別の何かとの並列で「追い出されたり(して)、自決した」と続く文脈なのでしょうか。
いずれにせよ、信じられないことにこの修正はいったん通りました。しかし、沖縄での07年の大規模抗議集会など批判が集中し、大問題になりました。山川はとりあえずこう訂正しました。
日本軍によって壕を追い出されたり、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった。
「たり」が足りないのは相変わらず。この歴史教科書を書く人も検定担当者も国語の先生ではないので日本語感覚がおかしかったのでしょうか。いや「たり、あるいは」という言葉を挟むことで「日本軍によって」とのつながりを薄める効果を狙い、あえてこの文章にして文科省のお墨付きを得たと解釈すべきなのかもしれません。
(沖縄タイムス社編「挑まれる沖縄戦――『集団自決』・教科書検定問題報道総集」によると、この時の検定意見を決めた教科書審議会日本史小委員会の委員の一人は「沖縄を専門としている先生がいないので、議論のしようがない」と証言したそうです。また、委員の一人は著書で沖縄への米軍上陸の日付を1945年4月1日と書いていました。実際には慶良間諸島上陸が3月26日で、沖縄本島上陸の4月1日と混同しているようです。この種の誤りは私も校閲で見逃したことがあり、心のトゲになっていますが、日本史の先生も同じ気持ちはあるのでしょうか)、
ところが、今使われている山川の「日本史探究・高校日本史」(2023年発行)ではこうなっています。
3カ月にもおよぶ大規模な地上戦により、日米両軍に多大な犠牲を出しただけでなく、「集団自決」に追い込まれた人びとも含め、多数の島民が犠牲になった。
「たり」の欠陥状態は解消されましたが、日本軍の「強制」はもちろん「関与」をもうかがわせない記述になっていました。
(しかし最新の検定で来年度以降「日本軍によって『集団自決』に追い込まれた住民」となる方向のようです。実は、山川の高校日本史をかつて担当していた筆者はその後、保守色の強い育鵬社「新しい日本の歴史」に携わりました。「教育と愛国」というドキュメンタリーでは「(歴史から)学ぶ必要はないんです」と驚くべき発言をし、「自虐史観」を批判していました。――2019年刊「教育と愛国――誰が教室を窒息させるのか」より)
そもそも「自決」という言葉は適切?
中学歴史教科書ではどうでしょう。シェアがトップとされる東京書籍(25年発行)は「日本軍によって集団自決に追い込まれた住民もいました」と中学の方が明確に日本軍と集団自決を結びつけています。帝国書院(同)はかなり詳しく「このガマでは10代の男女13人が日本軍に手渡された手榴弾(しゅりゅうだん)によって死に追いやられました」と、具体的な記述で同年代の少年少女に痛ましさを感じさせる構成になっています。
なお、帝国書院はおそらく意識的に「自決」「集団自決」の文字を避けています。考えてみれば「自決を強いられ」という言葉は矛盾しているのではないでしょうか。「自分の主張を貫いたり責任をとったりするために、自らの命を絶つこと」(新潮日本語漢字辞典)という「自決」と、沖縄住民のそれはあまりにも意味合いが違いすぎます。「民族自決」という、やはり歴史で学ぶであろうポジティブな用語とのギャップに戸惑う生徒もいそうです。少年時代の私がそうでした。
「沖縄ノート」裁判で、宮平春子さんは兄が「軍の命令で玉砕するように言われている」と言ったという陳述書を法廷に出しました。自分の子供を抱き寄せ涙を流しながら「これからお父さんと一緒に死のうね。皆一緒だから怖くないよ」と言ったとも証言しています。
仮に、百歩譲って自らの意思で自殺した人がいたとしても、幼い子供までが自分のことを「決する」ことなど、できようはずがありません。

東京都江東区にある教科書図書館。各社の現行・過去の教科書が閲覧できます
それが理由かわかりませんが「強制集団死」と書く教科書も見られます。毎日新聞でも「強制集団死(集団自決)」などと併記する記事が少なくありません。
時代錯誤の教科書を通す文科省が唱える「政治的中立」
一方、自由社の「新しい歴史教科書」(25年)では「日本軍はよく戦い、沖縄住民もよく協力しました」。育鵬社「新しい日本の歴史」(同年)は「逃げ場を失い、集団自決に追いこまれた人々もいました」。令和書籍の「国史教科書」(同年)は「逃げ場を失って自決した民間人もいました」。これらのシェアはかなり低いそうですが、それでも検定を通ったということ自体、検定の担当者の常識を疑います。
例えば、「国史教科書」のツッコミどころは多々ありますが、戦争の悲惨さを伝える写真はない代わりに1㌻まるごと使った戦艦大和の絵(題名に「産声―鋼鉄の咆哮 大和 2601-」と皇紀を用い、菊の紋章を大きく誇張して描いています。大和ミュージアムの目玉の模型ではリニューアル時に実サイズに合わせ小さくしたのですが)だけを取っても、その時代錯誤的な偏向は明らかです。
この本で「おやっ」と思ったのは「沖縄も離島ですが日本本土です。本土で住民を巻き込んでの陸上戦が行われたのは沖縄だけです」という記述です。一般に「沖縄は本土防衛のための捨て石になった」と表現されることが多いのですが、ここでは沖縄も本土の一部という扱い。一見、「捨て石」よりは沖縄を思いやるようにも見えます。ですが、「逃げ場を失って自決した民間人もいました」の直後に置くことで「自決」の実態が「陸上戦」の一部として希釈され、特攻隊員の「散華」(実際そう書いてあり、美化だという批判もあります)と同列の印象を与えることを狙ったような気もします。
文部科学省は沖縄修学旅行で事故を起こした学校を「特定の見方・考え方に偏っていた」と5月に指導しましたが、こういう偏向本を検定で通すのは政治的中立性を掲げる者として恥ずかしくないのかと問わざるをえません。
他の部分を見ると、「第1章 原始」の初めに簡単な年表があるのですが、「六四五 大化の改新」に「ややっ」と思いました、私たちの世代は確かにその年号とセットで大化の改新を覚えたのですが、今の歴史の認識としては、大化の改新とは645年のクーデター「乙巳(いっし)の変」後に始まる一連の国政改革をいうことになっています。実際、この本でも本文ではそういう説明になっているのですが、年表はそれと食い違います。645年は「乙巳の変」か「蘇我氏滅亡」とすべきです。本の最初の方でぱっと開いただけでこういうミスが出てくる検定って、いったいどこを見ていたのでしょう。
これは比較的小さな時代錯誤かもしれません。しかし全体的に皇国史観に貫かれており、そういう教科書が通ることなど、戦前の価値観に戻すような大いなる時代錯誤が日本に訪れていないか、次代を担う少年少女たちのためにもしっかり見張らないといけないと思います。
【岩佐義樹】
