
「弓矢を射る」という言葉についてお聞きしました。理屈では「弓で矢を射る」のですが、「弓矢」とまとめるのは変なのか許容範囲なのかという問いです。
目次
「弓矢を射る」容認は少数だが
| 「弓矢を射る」という言葉は変? |
| 変。「矢を射る」とすべきだ 56.4% |
| 変。「弓を射る」とすべきだ 13.6% |
| 変ではない。「拳銃を撃つ」と同じ 30% |
結果は「変。『矢を射る』」とすべきだ」が過半数。「変ではない。『拳銃を撃つ』と同じ」は3割でした。
「拳銃」は「猟銃」「大砲」などに言い換えてもいいのですが、いずれも「弾」を撃ち出すための道具であり、そこから飛ぶ物体を表すのであれば「銃で弾を撃つ」などとなるはずです。しかし「銃を撃つ」などはよく使われ、辞書にも用例が書かれています。
「矢を射る」よりはよいとの意見も
もっと明確な例を出すと「バットを打つ」とは絶対にいいませんね。「ボールを打つ」です。しかし、「ヒットを打つ」など結果については使います。「を」の使い方は一筋縄ではいきません。
X(ツイッター)でも意外に(?)「弓矢を射る」容認の意見が届きました。二つご紹介します。
わたしは、「弓矢を射る」を肯定します。理屈っぽく考えるなら、「矢を射る」でとどまらず、むしろ、「的を射る」が一番スマートなのかもしれません。「弓を引き、矢を放ち、的を射る」わけですから。
個人的には「矢を射る」だとボウガンも含んでしまう。「弓を射る」だと弓が飛んでいくイメージが頭をよぎる。いわゆる『弓』を使っているという情報を落とすくらいなら、「弓矢を射る」がベターな気がする。一文字なので、コスパならぬ文字数パフォーマンスがよい。

「鉄砲を撃つ」は「道具目的語」
では助詞「を」の使い方に注目してみましょう。
「を」を明鏡国語辞典3版で引くと、「鉄砲を撃つ」などの使い方を「道具目的語」と分類していました。「働きかけに用いる道具や手段となる物事を対象にして示す」と説明され、他の用例の一つに「辞書を引く」があります。これに対し「弓で矢を放つ」は「対象目的語」と分類されています。「ホームランを打つ」は「結果目的語」です。
「辞書」について、いま書いた段落に基づいて説明すると「辞書で『を』の語を引く」という場合は「対象目的語」、単に「辞書を引く」というのは「道具目的語」ということになりそうです。
本筋から離れますが、これは「辞書を引く」の語源にかかわる興味深い問題ですので脱線させてください。
なぜ「辞書を引く」というかに関連
「ふしぎなことば ことばのふしぎ」(池上嘉彦著、ちくまQブックス)には「なぜ『辞書』は『引く』のでしょう」という章があります。「引く」を使う例をいろいろ見ていきます。その一つとして挙げられるのが「弓を引く」で、「弓で矢を射るときには(中略)弓のつるを自分の方へ引きよせるような動きをしますから、どうして『ひく』というのか、よくわかる気がします」とあります。
その後、木箱に入れた中から1本引く方式の「くじをひく」に言及した上で、結論はこう述べられます。「『くじをひく』のと同じように、『ことば』を選び出すもの――それが『字引』です」。つまり、辞書を使って「言葉を引く」から「辞書を引く」というのだということです。
この説に対し、飯間浩明さんは毎日小学生新聞の「日本語どんぶらこ」(2026年1月29日)で批判しています。いや、池上さんの著書を挙げているわけではないので、具体的にはどういう本を見て異論を唱えたのかは判然としませんが、こうあります。
「辞書を引く」という言い方について、こじつけの説明をするものもあります。ある本には、「くじを引くように、たくさんのことばの中からひとつを選び出すからだ」と書いてありました。でも、ことばを調べることは、くじを選ぶこととは全然ちがいます。この説明は適切ではありません。
ではなぜ「辞書を引く」というのか。飯間さんによると、昔の文書は多くが巻物であり、手で引っ張って広げる動作を「引く」といったからだそうです。
つまり、池上説に従うと「辞書で『を』の語を引く」のは「くじを引く」イメージで、飯間説では辞書そのものが「を引く」の対象になっている捉え方といえるでしょう。下世話な目で見ると、言語学の権威に「弓を引く」三省堂国語辞典編者、という図が浮かびます。

語源は一校閲者には分かりませんが、結果として「辞書を引く」という使い方は誰もが使う言葉です。「いや、『辞書で言葉を引く』とすべきだ!」なんて誰も言いません。
「弓を射る」は辞書にある
閑話休題。「射る」も、物理的には一見「弓を射る」は「弓で矢を射る」が正しそうですが、「道具目的語」の使い方として間違っていないことになります。
「徒然草」第92段には「或(ある)人、弓射る事を習ふ」という用例があります。これは助詞がないのですが、ストレートに結びつけても大丈夫という使い方があったということです。現代の辞書でも、新明解国語辞典は「射る」の項で「弓を射る」を挙げています。
では「弓矢を射る」も問題ないだろうと類推できそうですが、辞書ではその用例を掲げるものが今のところ見つかりません。もちろん、だから「弓矢を射る」が不適切ということにはなりません。ただ、「弓を射る」が辞書にあるのに「弓矢を射る」がダメという理屈は思いつきません。「弓で矢を射る」ものだから「弓矢を射る」は間違いだと判断するのは早計かもしれないとはいえるでしょう。
(2026年03月16日)
ミラノ・コルティナ・オリンピック(五輪)が始まる前、出場を決めた日本のあるチームがイタリアの会場の方向に「弓矢を射るポーズ」をしたという記事がありました。すっと読み飛ばしかけましたが、考えてみると弓そのものは飛ばすものではありません。「矢を射る」としました。
しかし、例えば「拳銃を撃つ」とよく言いますね。本当は「拳銃で弾を撃つ」のですが、「拳銃」とあると「弾」は言わなくても分かるということでしょう。その伝では「弓を射る」でも「弓矢を射る」でもいいような気もしてきました。
毎日新聞の1面コラム「余録」は読者が多いためチェックも厳しいのですが、20年前のイタリア・トリノでの冬季五輪に際し「弓矢を射た」が出ていました。許容範囲とみなされたのかもしれません。「弓矢を射る」、みなさんはどう感じますか。
(2026年03月02日)
