日本人の外国語学習は、つづりを覚え意味を翻訳して理解を深めるが、日本文化に興味を持つ外国人に発音を含めて日本語を覚えてもらうには、漢字やかなの学習よりも、ローマ字表記で伝えた方が手っ取り早い。そのローマ字表記の方式の違いには、先人の苦心の跡が見える。
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入力作業の主流はローマ字に
1980年代末に、なんとか個人が購入できる価格になった日本語ワープロ機を入手して、大学のリポートを書き始めた頃、そのワープロのキーボードは「平仮名50音順」配列になっていた。キーの配列は頭に入りやすかったが、打ちたい文字を40カ所前後で飛び飛びに打っていくので、手書きより速いとはとても言えなかった。
購入後しばらくして、作業中にキーボードを眺めていると、小さく「ローマ字入力」という表示があり、マニュアルを確認すると、機能を切り替えれば平仮名50音でなく、ローマ字で入力できるという。早速ローマ字入力に切り替えて、20カ所前後のキーを組み合わせて入力したら、手書きに匹敵する速さで文章を作成できて、これが、ブラインドタッチへの第一歩になった。
おそらく当時のメーカーは、ローマ字よりも平仮名50音順入力が日本人に受け入れられやすいと考えたのだろう。確かに、50音順のキーボード配列は苦手意識を抱かせなかったが、入力に必要なキーの数が多すぎたのかもしれない。
54年以来の「主流派」交代

このたび、文化審議会が「ローマ字表記について、従来の『訓令式』から英語の発音に即した『ヘボン式』を基本とするルールに改める」内容を文部科学相に答申し、内閣告示と内閣訓令が発表された。ローマ字のつづり方を説明する役割が内閣告示であり、各行政機関に今回決めたつづり方を使用するように命じる役割が内閣訓令だ。
ヘボン式に対して、54年の内閣訓令で使用を促されたつづり方を「訓令式」と呼んできたのだが、今回54年の内閣告示と内閣訓令は廃止されたので、行政手続きにおいては「訓令式」が消滅したことになる。
その「旧訓令式」では「国際的関係その他従来の慣例をにわかに改めがたい事情にある場合」に限って、ヘボン式などの使用も認めていた。今回の改定も、行政のローマ字運用法を定めたもので、民間で旧訓令式を使うことを制限していない。つづり方の公的な「主流派」が入れ替わったと考えたら、わかりやすい。
例えば、旧訓令式で「毎日新聞の校閲」と書くならば、mainitisinbun no koetuとなる(koのoの上に長音を表す^が付く)。今回改定された表記法では、mainichishinbun no koetsuとなる(koのoの上に長音を表す ̄が付く)。「ち」をキーボード入力するなら、chiと打つよりtiと打つ方がキーの数が少ないのだから、キーボード入力では旧訓令式を使う人も一定範囲で残っていくだろう。
複数の表記方式が考案された
幕末に米国から来日したジェームズ・カーティス・ヘボン(1815~1911年)が宣教師・医師として活動していく中で、日本語と英語を対照させた「和英語林集成」を出版し、ここで使用したローマ字の使用法がヘボン式と呼ばれるようになった。ちなみに、ヘボンはHepburnと表記し、米アカデミー賞主演女優賞を4回受賞したキャサリン・ヘプバーン(1907~2003年)のファミリーネームもHepburnなので、発音の捉え方によっては「ヘプバーン式ローマ字」「キャサリン・ヘボン」という書き方ができるかもしれない。
旧訓令式とヘボン式だけでなく、地球物理学者の田中館愛橘(1856~1952年)が提唱した「日本式」というローマ字表記もある。違いがわかりやすい例でいえば「ぢ」は、ヘボン式で「ji」、日本式では「di」、旧訓令式では「zi」と書く。この日本式も、54年の内閣告示で「慣例としての例外使用」をヘボン式とともに認められていた。どの方式も、日本語の発音を忠実に表記する工夫から生まれたものだろう。
校閲の仕事でいえば、原稿にローマ字表記が出てきたら、原則ヘボン式であろうと推定して点検するが、ヘボン式と違う表記であっても、単純に直さずに、意図があって旧訓令式や日本式を採用しているのではないかと考え、筆者の意図を確認してみるほうがいいだろう。
大学時代に、あるパンフレットを作る時に名前に「藤」がつく同級生をローマ字表記で「huzi」と書いたら、「それではヒュジになる」と仲間に笑われたが、旧訓令式なら間違っていない。学校で習ったのは旧訓令式のはずだが、80年代の大学生はすでにヘボン式の「fuji」が常識だと思っていたようだ。画家の藤田嗣治(1886~1968年)は、フランス国籍を取得するときに「Fujita」とせずに「Foujita」とした。そのほうがフランスでは「フ」と発音しやすいという配慮らしい。

国を開くための検討と捉える
天正遣欧少年使節(1582~1590年)といえば、教科書で習って、代表の少年たちの名前ぐらいしか、記憶に残っていない人もいるだろう。しかし、使節が持ち帰ったグーテンベルク印刷機によって日本の活版印刷の歴史が始まった。これによって当時、現代とはまた違った法則のローマ字表記で「平家物語」が印刷されたという。
歴史の中で、ローマ字表記が真剣に検討された時期を見ると、日本文化を海外へ広く紹介しようとした意図がうかがえる。天正遣欧少年使節、幕末の来日宣教師など。藤田のフランス国籍取得も、日仏両国で「本拠地」を定めるために悩み、戦後に彼が再出発するきっかけと重なっていた。
2025年12月に改定されたローマ字の内閣告示と内閣訓令が、日本文化紹介を強化し、国をさらに開く方向を示してくれているならば、先人の苦労にさらなる工夫を加えたものとして評価したいと思う。

