
「難易度が高い」という表現についてお聞きしました。よく使われますが、考えてみると「難しさの度合いが高い」ならともかく「易しさの度合いが高い」というのは矛盾するのでは? 「難度が高い」で十分ではないか――こういう意見はよく聞きます。
目次
「違和感なし」が半数
| 「難易度が高い」という表現、どうでしょう。 |
| 違和感はない 48.8% |
| 多少違和感があるが間違いとはいえない 32% |
| 「難度が高い」の間違いだ 19.1% |
そこで「どうでしょう」と聞いたのですが、「『難度が高い』の誤り」を選んだ人は少数派。「違和感はない」がほぼ半数という結果でした。
一方が意味を持たない「帯説」

確かに理屈では「難度が高い」でいいのですが、このように相反し、一方が意味をもたない漢字を並べる使い方は他にもいくつかあります。
例えば敵対していた者が「恩讐(おんしゅう)を超えて」和解するなど。ここで主に意味があるのは「讐」つまり恨みですが、その感情を超えるわけです。
高市早苗首相は明治の「教育勅語」を幼少期に家族から教わり、その価値観を尊重すべきだと訴えているそうです。この教育勅語に「一旦緩急」という言葉が出てきます。「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」(万一危急の大事が起こったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身をささげ)……などと皇室のために尽くせという一節です。つまり「緊急事態」ということですから「緩い」という字は意味を持ちません。
これらをさして「帯説」という用語もあるそうです。新明解国語辞典は項目をたてています。
たいせつ【帯説】字音語の熟語を構成する漢字のうち、対極的な用法を持つ一方がその文脈においては積極的に意味を持たないもの。
例として、これまで挙げた「緩急」「恩讐」「難易」が書かれています。
異同、裏表…他にもいろいろ
他にもありそうですね。「帯説」の項にはありませんが、新明解は「異同」「裏表」なども帯説としています。
「新版と旧版の異同を調べる」という場合、「同」に意味が全くないわけではないでしょうが、主にどこで違ってくるかが問題になりますね。
「政治の裏表に通じた」「世間の裏表を知る」という場合の「裏表」は「裏面の事情」という意味で実質的な意味は「裏」と新明解は記します。確かに「裏表のない人」の場合も、「裏のない、表だけの人」ということでしょう。
次々見つかります。今回の選択肢の一つ「多少違和感があるが」も、「少々違和感があるが」とほぼ同じ意味といってもよいと思われます。違和感は「多い」わけではないでしょう。これも新明解(8版)で「実質の意味は『少』にある」と位置づけられました。
「生死を共にする」は、新明解7版によると実質的な意味は「死」にあるとのこと。「えっ、一緒に死ぬわけではないでしょ?」と思いましたが、語釈は「まかりまちがえば、死ぬかもしれない危険」ということの意味なので、新明解としては前提の「生」よりも仮定の「死」に重点があるという考えだったのでしょう。ただし最新の8版では「帯説」との記述はなくなっています。
クマの「出没注意」の「没」はどうか
以下は新明解では帯説と記述されていない例です。
クマの「出没注意」の「没」は字義通りなら存在しなくなることなので「出現注意」でいいはず。もちろん、見えないからといっても油断大敵という意味では「没」にも一定の役割はあるかもしれませんが、それにしても「出没」がこれだけ定着しているのは「没」の字が意識されないからかもしれません。
「違和感」の「和」も穏やかでなごむ意味の漢字ですから、「違」とはちがって意味をなさないですね。
「細大漏らさず」という言い回しはどうでしょう。細大は「細かいことも大きなことも」ということですが、大概「大きなこと」は漏らさないので、これも帯説の一種といえるかも。まあ、たとえば2025年の回顧記事で「細大漏らさず記したつもりが、あの重大事件を書き漏らしていた!」ということも起こりがちなので、状況にもよるかもしれません。
微妙なものも含めて、いろいろ考えられます。みなさんも「これ」というものがあればお伝えください。
難易度は寒暖計のイメージでも説明可
さて、難易度に戻しましょう。今回の質問について、帯説という専門用語を使わずとも、「難易度が高い」という言葉をうまく説明する投稿がありました。
難易度という定規に対して、そのメモリが高い低いで、あまり違和感はない

なるほど、難易度を寒暖計のような目盛り付きの縦の線でイメージすると、その高い低い
が難易度ということですね。実質的な意味がどうとか他の例がこんなにありますとかいうよりはシンプルで分かりやすいと思いました。
以上、「難易度が高い」は問題ないという前提で書きましたが、だからといって「難度が高い」が逆におかしいという趣旨ではないことは言うまでもありません。ただ、校閲としては「難易度が高い」を「難度が高い」に直すという決まりはないということは強調しておきます。
(2025年12月22日)
すでに一部で中学受験が始まり、時々「入試の難易度が高い」などの文言を目にします。またフィギュアスケートで「難易度の高いジャンプ」などと言われることもあります。この「難易度が高い」という表現、気になるでしょうか。
難易度の「難」は分かるとして、「易しさ」の「易」が高いとはどういうこと? 矛盾する言葉ではないか――インターネットにはそういった意見が見られます。理屈ではそうですが「難易度が高い」「難易度が上がる」は多く用いられています。
日本語には他にも、熟語の一方がほとんど意味をもたない使い方があります。例えば「混雑は多少緩和されましたが、限定的です」という場合の「多少」。「多」に実質的な意味はほぼありません。専門的には、このような使い方を「帯説(たいせつ)」というそうです。
それでも「難易度が高い」は「難度が高い」で十分だしすっきりするという意見もあるかもしれません。いかがでしょう。
(2025年12月08日)
