ロシア南部・チェチェン共和国の2度目の紛争の前年だから1998年のこと。毎日新聞朝刊1面コラム「余録」の校閲をしていて「北オセチアの東隣はチェチェンである」のくだりを調べた。今のようにネットで自由に世界中どこでも詳細な地図が見られるようなことはなく、職場にある地図帳などで探してもわからなかった。過去の紙面に掲載された地図を見つけたものの、チェチェンの西はイングーシしか接していないように見え(図上)、「隣とはいえないのでは?」と問い合わせた。説明のないまま筆者から「そのままで」と言われて紙面化されてしまい、不安だったが、後に何度も載った地図では、北オセチアが少しだが接していたことがわかった(図下)。
そんな経験からか、「地名」だけでなく、その位置関係が気になる。
日本では平成の大合併で市町村の線引きが大きく変わった。地図も誤りがちになるからと2010年夏、図表を作る部署から全都道府県の地図の校閲を依頼された。合併にだけ気をつけて市販の地図と見比べればいいと軽く引き受け、若手4人にも分担してもらってチェックした。
始めてみると、飛び地もわかりやすく示さなければ、瀬戸内海の島々がどの県の何市に属するか、その境界をどう表すか、どれくらいの大きさまで湖を塗った方がいいか、北方四島の町村名は--などなど面倒なことだらけ。どうにかクリアして、後はだいたい位置関係が合っていればいいはずが、どうしても隣り合うかどうかは正確にしたくて、細かいところまで直しを書いてしまった。
やっとすべて直ったのは半年後。そのすぐ後、11年3月に東日本大震災が起き、被災状況の地図が毎日使われた。しかし、三陸の海岸線に連なる市町村、原発事故による避難や補償対象の範囲……線引きがこれほど意識されるようになるなんて。自分のこだわったこの地図上の線を、別の思いで見ている人々が、今もいるのだろう。
【平山泉】