オンライン辞書・事典サイト「ジャパンナレッジ」による「ここでしか話せない 楽しくてディープな辞書の世界」というイベント(2019年2月15日・東京)に参加しました。辞書コレクターの境田稔信さんと、「日本国語大辞典」第2版の編集長の佐藤宏さんのトークイベントです。境田さんはフリー校正者で、自宅に6000冊の辞書を所蔵していることで知られます。
まず驚いたのが参加者の多さ。「ディープな辞書の世界」ということですが、辞書に興味のある人がそんなにいるのだろうか……と失礼ながら思っていました。ところが定員70人のところ事前申し込みが多く、増席したものの更に満席になったとか。
目次
6000冊持つコレクター
お二人の出会いは1985年ごろ、佐藤さんが小学館で現代国語例解辞典を担当していたとき、出入りしていた校正会社にいたのが境田さんだったそうです。
辞書コレクターの境田さん、6000冊持っていますが現在も1日に2冊ほどのペースで増えているそうです。自宅の書架の写真がスクリーンに映されていましたが、ずらっと辞書・事典が所狭しと並んでいます。書架の間は狭く、1人ずつしか見られないほど。
境田さん 言海が発行されて100年の記念の会を開こうということになり、それに向けてちょっと版違いを集めてみようかと。それまでは小型、中型など大きさが違うものを1冊ずつ持っていればいいかなと思っていた。でも、集めているうちに、あれ? ちょっと違っているというのがわかった。
正誤表が付いていたりいなかったり、それに基づいて誤植が直してあったりなかったり、はっきりした時系列的でもなく、結構錯綜(さくそう)している、いろいろ違いがあるということがわかり、これは全部集めてみないとわからない、コンプリート目指して、となったそうです。言海については、あと10冊くらいでコンプリートできるのではないかと話していました。
増刷が進んで誤植が復活?
普通、刷り(当時は版といったらしい)が重なるごとに訂正は少なくなると思うのですが、そうでもないようです。境田さんによると――。
当時は活版で組んで紙型(※)をとっているから、いまから組み直して新しい版を作ることはまず考えられない。仕方ないから、その見出しがあるページの中で、組み直したというページがある。
言海は4分冊のあと、一冊本になるが、そのときに誤植をほとんど直したものが出た。ただ、その一冊本の中でも、誤植を2ページ直したもの、3ページ直したものの2段階と直していない正誤表付きのものがある。
誤植のある段階で紙型をとってしまって、誤植を直した後の紙型はとっていなかった(誤植を直した版は、印刷用の鉛の板に象眼という方法で、部分的に活字を入れ込んで訂正していた)。紙型をとり直さなかったのは、おそらく大槻文彦さんが自費で出していたからお金もかけられなかったという理由もあるだろう。
戦後の活版印刷は、増刷の度に紙型に鉛を流し込んで新たな版を作るという感じだが、昔はいったん作った鉛の版はなるべく使い回し、だめになった部分だけをもう一度紙型に鉛を流し込んで版を作り直した。だから増刷が進むと、誤植がだんだん復活して、新たに作り直すと異なる正誤表が付いている、ということも生じた。
言海の大型本について、そういった違い(誤植が直っているか、正誤表はどうか)を版ごとにチェックしていって、260冊も集めたそうです。
※紙型(しけい)…活版印刷で、鉛版を鋳造するために特殊な紙を組版に当て、押圧して型を取り、乾燥させた堅紙製の鋳型。これに鉛合金をとかして鋳込み、印刷用の鉛版を作る。(広辞苑第7版)
用例初出の探し方「分かれば苦労しない」
境田さん宅の本の山の中に、明石家さんまさんや島田紳助さんの本がなぜあるのか(「エッチする」という使い方をしたのはどちらが先かを調べようと思ったからとのこと)という質問から、言葉の用例、その初出についての話に。
「言葉の用例を探すというのは、あくまでも趣味。本業の校正とは関係ない」と境田さん。
日本国語大辞典の言葉の用例としての初出はどういうふうに探すのかという質問には、「それがわかれば苦労しない」(佐藤さん)。
ただ、「日国(日本国語大辞典)の場合は基本的な言葉については、鎌倉初期くらいまでは決まった文献があるから、これが早いと言える。明治以降になると資料を整理しきれていないから、とりあえず見つけたから(初出として)入れているというのが実情」だそうです。
「日国友の会」というインターネットサイトでは、言葉の用例を募集しており、誰でも投稿できるそうです。会場にも何人か投稿したことがあるという方がいました。
近代の国語辞典 どう変わってきたか
続いて近代の国語辞典の歴史について。
その後、「大言海」が出たが、大正には「日本国語大辞典」のもとになった「大日本国語辞典」を、国語学者の松井栄一さんの祖父、松井簡治さんらが出した。
その大きな二つの流れのほかに、昭和10年代には、いまでも巻数(26巻)・語彙(ごい)数(約70万語)が最大の大辞典が平凡社から出た。
1907年には、戦中戦後にかけて広く使われた「広辞林」のもとの「辞林」が発行された。戦後になって、新村出さんの「辞苑」が「広辞苑」になった。
また、見出し語の並べ方にも変遷があったそうです。
当時はまだ歴史的仮名遣いだったから、それが正確にわからないと引くのは難しかったと思われる。大正の頃に仮名遣いを気にせずに、ローマ字引き、発音に近い形で引けるように、というのも出始める。
昭和に入った頃に、また50音順が多くなり、見出しは歴史的仮名遣いが少なくなる。表音式、発音に近い形の見出しが主流になっていた。戦後、現代仮名遣いになって、そこで切り替わったというわけではなく、戦前から見出しは発音、表音式が多かった。
広辞苑の前の辞苑も表音式の見出しだった。それを引きずってか、広辞苑は最初(1983年発行の3版まで)見出しに「ぢ」「づ」を使わず「じ」「ず」の表音式にしていた。
「いい辞書とは」 簡単には言えない
次に、事前に寄せられていた質問への回答。
境田さんに、プロの目からみていい辞書とは?との質問がありました。
――辞書を比較するときに、どういった言葉、語で比較されているのでしょうか?
境田さん 特にこれというの(決まった語)はない、引いてみないと。古い辞書、特に和英など対訳語の辞書を買うときに気にしているのは、「拉致」という言葉。もともとは「網羅」の「羅」を書いて、意味も人材を広く集めるという意味だった。
それが今の「拉」に変わるが、表記が先に変わるのか、強制的につれてくるという意味から変わったのか。拉(らっ)するからきたのか、読み方も「らっち」という読み方もあり、そのあたりをどう載せているか。それを引いてから判断するということもある。
「辞書のため壁をぶち抜いた間取りに」
集めている辞書はもらうことが多いのか、買っているのかという質問。
買うのはネットが多くなった。ネットオークションでは入札で値段が高くなったり、買う直前で寝てしまって逃したりすることも。
――そんなに大量の辞書があると保管も大変だと思いますが……?
境田さん 1日2冊増えていく。
――大家さんに怒られたりしないのでしょうか?
境田さん 最初は2階に住んでいた。どうもあの人は荷物が多いと思われていたようで、実は全部本なんですよという話をした。
何年か後に、隣にもう1棟たてるから1階に移ってくださいと言われた。間取りが狭くなるから難しいですねという話をしたら、隣にワンルームがあるから、その壁をぶち抜いてつなげますよと。家賃は1.5倍ですが。
そういう配慮をしてもらった。多少床も補強してくれたようだ。いまのところから引っ越すのは、本を全部処分しないと難しい。
オンライン辞書も裏取りされた情報だからこそ
オンラインの辞書、ジャパンナレッジについての質問もありました。
境田さん 最初ジャパンナレッジを知ったときに、ほとんど持っているから、入らなくていいやと。ただ辞書を一冊一冊出して広げているとスペースがなくなる。
ジャパンナレッジだと、パソコン画面一つで必要なところを見られて、しかもプリントできる。校正・校閲のときに、ここにこれが載っていると証拠として添えて、というのがやりやすい。使い勝手がいい。
佐藤さん これだけ情報があふれていて、ただでいろんな知識を得られる。でもその知識がどれだけ確かなものか、というのは非常に難しいところ。
ジャパンナレッジが利用料を払ってまで使われているというのは、やはり知識の信頼性、裏取りされた情報だからこそだと思う。いざとなれば、ちゃんとしたモノがあるという安心感も多少はからんでいるのかも。
最後のよりどころとなるのは、実際にモノにあたれる部分だと思う。それがジャパンナレッジをささえていると思う。
話を聞いて
校閲という仕事をしているとき、言葉の使い方に迷ったら、当然のように辞書をみています。しかし、それができるのも、さまざまな文献を調べたりして、それをわかりやすくまとめた方々がいるからだということを、辞書の歴史を聞いて改めて感じました。
また、専門家だけではなく、インターネットでの一般の方からの「こういった言葉の用例があった」という投稿を辞書の改訂に生かしていくというのは、ネットが普及した現代らしい取り組みだなと思います。
辞書ではありませんが、新聞もその時々に起きたことをできるだけわかりやすく、正しく伝え、記録していくという役割があります。辞書と同じで、紙媒体、電子媒体など変化はしていきますが、そういった信頼できるモノを作ることに、校閲としてほんの少しでも役に立つ仕事ができるようになれたらと思います。
【まとめ・日比野進】