先だって「注力って言葉、辞書に載ってないようだけど、使ってもいい?」と記者に聞かれた。幾つかの辞書が「注力」を見出し語に掲げるようになったのは最近のことだ。記者の使っている辞書に載っていないとしても不思議ではない。それで思い出したのが、20年近く前、読者から「注力などという国語辞典にない造語を使うな」とお叱りを受けたことだった。たしかに耳慣れない語で気になっていたが、きわめて簡明で、意味を取り違えるという恐れもなかったから、別の語に言い換えてもらうこともしなかった。むしろ、この語がどう受け入れられていくのか、そちらのほうに興味があった。
手元にある国語辞典を開くと、三省堂国語辞典は01年の第5版に「力を・そそぐ(入れる)こと」、岩波国語辞典は09年の第7版で「(その部門に)力を注ぐこと」という語意で載せている。明鏡国語辞典は10年発行の第2版で「目標を達成するために力を注ぐこと」と、さらに詳しく説明している。もちろん、新明解国語辞典のように最近出た第7版でも掲載していない辞書もあるから、あまねく認知された「平成の新語」というには早すぎるかもしれない。
毎日新聞のデータベースを調べると、1980年代後半からぽつぽつと顔を出し始め、2000年代に入ると急激に出現頻度が高くなっている。しかもこの語が使われたのは当初、経済関係の記事に限られていたといってもよい。「建設大手は、事業効率を高めるためオフィスビルなどの大口工事獲得に注力してきた」(90年)などのように。これは岩波国語辞典が「1990年代に産業界から広まった語」と付記するのとおおかた一致する。その後、以下はある作家の寄稿記事の一文だが「各人の研究成果を冊子にまとめる作業に注力することとなった」(2012年)などと、使用される分野は限定されなくなってきた。ここ10年でデータベースでの出現回数が急増した大きな理由でもあろう。
この語は今のところ、ある目的、成果を得るための行為を表す語として使われているのがほとんどだが、これから、もっと別の用法が加わっていくのかどうか、そのあたりが気になっている。
【軽部能彦】