読めますか? テーマは〈天〉です。
目次
天岩戸
あまのいわと
(正解率 81%)「天の石屋戸(いわやと)」などとも書かれる。日本神話で、太陽神アマテラスオオミカミが暴れん坊のスサノオノミコトに怒ってこもったとされる岩窟の戸のこと。真っ暗になったことから、日食との関連が指摘されている。宮崎県高千穂町などに天岩戸神社がある。
(2012年05月21日)
選択肢と回答割合
あまのいわと | 81% |
あめのいわど | 17% |
てんがんこ | 2% |
天望
てんぼう
(正解率 59%)5月22日開業の東京スカイツリー「天望デッキ」「天望回廊」に使われている。しかし諸橋轍次編「大漢和辞典」によると「人の死んだ直後、天を望んで叫び魂気を招くこと」とある。もっといいネーミングはなかったのだろうか。
(2012年05月22日)
選択肢と回答割合
たかのぞみ | 4% |
てんぼう | 59% |
てんもう | 38% |
天を摩する
てんをまする
(正解率 79%)天に触れるくらい高くそびえるさま。高い建築物に用いられる。「摩天楼」の語は有名だが、「天を摩する」はほとんど見かけない表現かもしれない。摩の字は「物が触れる」「迫る」などの意味がある。
(2012年05月23日)
選択肢と回答割合
あまをまする | 11% |
あめをまする | 10% |
てんをまする | 79% |
下天
げてん
(正解率 77%)天上界のうちの最下層の世界。その一昼夜は人間界の50年に当たり、人間の命のはかないことを表す。織田信長が桶狭間の合戦の前に謡い舞ったという「人間五十年、下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり」で有名。
(2012年05月24日)
選択肢と回答割合
くだりあま | 6% |
かてん | 17% |
げてん | 77% |
化天
けてん
(正解率 57%)人間界より上の世界である化楽天(けらくてん)のこと。ここでは人間の800歳を1日として8000歳の寿命があるという。織田信長が舞ったというのは舞踊「敦盛」だが、そこでは「人間五十年、化天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり」と「化天」が使われている。「下天」とするのは「信長公記」。
(2012年05月25日)
選択肢と回答割合
かてん | 31% |
けてん | 57% |
ばってん | 12% |
◇結果とテーマの解説
(2012年06月03日)
この週のテーマは「天」でした。
最近この字をやたらと見かけるような気がします。映画「劇場版SPEC~天~」、一天にわかにかき曇っての雷や竜巻など不順な「天候」、そしてもちろん「天体ショー」金環日食に、「天を突くタワー」東京スカイツリー開業……。
そのスカイツリーの展望台に付けられた名称が「天望デッキ」「天望回廊」。「天望」は見慣れない語ですが、大漢和辞典にこの言葉を見いだして出題しました。正解率はスカイツリー自体の高さほどには高くありませんでした。それにしても、この名称を決める時に「縁起でもない意味」と指摘する人は誰もいなかったのでしょうか。普通の「展望」でも人気は衰えることはないと思うのですが。
「天岩戸」は日食にちなんだ問題。今年は古事記成立から1300年というからみもあり、「天」とも関連が深い古事記から出題しました。結果ですが「あま」か「あめ」かは予想以上に迷う人が多かったようだという印象です。
「下天」「化天」はともに織田信長にからんで。「天文」年間に生まれ「天正」年間に亡くなったというのが偶然にしても、天下を目指した戦の天才は「天」のテーマにふさわしいといえるでしょう。しかし、信長が舞ったという「人間五十年……」のフレーズは有名ですが、その後の言葉は何が正しいのか、これまで考えたことがありませんでした。
きっかけは「アストロ球団」という70年代の野球漫画を読み直したことです。主人公の超人たちを向こうに回し一騎当千、獅子奮迅の活躍をするリョウ坂本(かっこいい!)というライバルがいるのですが、「敦盛」を吟じつつ登場するシーンで「化転(けてん)のうちにくらぶれば」と書かれてありました。あれ、こんな字だっけと司馬遼太郎「国盗り物語」を見るとやはり「化転」。一方、津本陽「下天は夢か」のように「下天」とする本や、「化天」とする辞書もありました。これは原典に当たらねばと思って能「敦盛」の本を調べてもそんなくだりは出てきません。うかつにもこのフレーズは能の「敦盛」ではなく舞踊「幸若(こうわか)舞」だと知らなかったのです。
結局、平凡社の東洋文庫「幸若舞」で「化天」、角川文庫「信長公記」で「下天」と確認できました。しかし、「化転」とする資料は見つかりませんでした。辞書では化転は仏教語で「人を教化して悪を善に転じさせること」。人間の一生は夢まぼろしのごとくなりと謡う文脈にそぐわないはずです。しかし「化転」の表記は、漫画は論外としても司馬遼太郎だけでなく複数の文学作品で使われているようです。これもありなのか? 気になるところです。