読めますか? テーマは〈雨の歌〉です。
目次
傘
からかさ
(正解率 47%)野口雨情作詞「雨降りお月さん」より。「雨降りお月さん 雲の蔭(かげ) お嫁にゆくときゃ 誰とゆく ひとりで傘(からかさ)さしてゆく」。1925年発表。昔は傘単独で「からかさ」と読ませることがあった。庶民には頭にかぶる笠(かさ)が主流であり、柄の付いた傘は中国からの渡来なので、唐風のかさの意味で「からかさ」といわれた。
(2012年06月25日)
選択肢と回答割合
あまがさ | 34% |
からかさ | 47% |
さしがさ | 19% |
蛇の目
じゃのめ
(正解率 99%)ヘビの目のように太い輪の模様のある傘のこと。北原白秋作詞「あめふり」の「あめあめふれふれかあさんが じゃのめでおむかいうれしいな」は有名だが、今の子供には意味不明かもしれない。しかしピッチピッチチャップチャップという音の楽しさは不滅だろう。「おむかい」は「おむかえ」の方言。
(2012年06月26日)
選択肢と回答割合
じゃのめ | 99% |
だのめ | 1% |
まむしのめ | 0% |
紅緒の木履
べにおのかっこ
(正解率 47%)北原白秋の「雨」より「雨がふります雨がふる 遊びにゆきたし傘はなし 紅緒の木履も緒が切れた」。「かっこ」は、げたの幼児語。初出は「紅緒のお下駄」だった。「かっこ」の方がかわいいが分かりにくい。木履は他に「ぼくり」「きぐつ」などと読まれる。
(2012年06月27日)
選択肢と回答割合
あかおのきっぷ | 8% |
べにおのかっこ | 47% |
べにおのもくり | 46% |
小雉子
こきじ
(正解率 48%)北原白秋作詞「雨」の3番に「けんけん小雉子が今啼(な)いた」と出てくる。「けんけん」はキジの鳴き声。無愛想に聞こえることから「けんもほろろ」の語の由来になった。「ほろろ」はキジの鳴き声とも羽音ともいわれる。
(2012年06月28日)
選択肢と回答割合
きじばと | 21% |
こきじ | 48% |
ひばり | 32% |
遣らずの雨
や
(正解率 92%)恋人や客が帰る頃、引き留めるように強く降り出す雨。川中美幸さんの歌の題名(作詞は山上路夫さん)に使われている。
(2012年06月29日)
選択肢と回答割合
いた | 7% |
さ | 1% |
や | 92% |
◇結果とテーマの解説
(2012年07月08日)
この週は雨の歌から。
このテーマにした一つのきっかけは「日本語の深層」(木村紀子著、平凡社新書)の序文で「蛇の目」が何のことか分からない学生が多いというのを読んだことです。
photo by Kanze
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そういえば、蛇の目傘を見ることは、現実世界はもちろん映像でもほとんどなくなりましたね。出題者(48歳)が小さい頃、祖母の家にはまだ蛇の目傘がありましたが、今では連続時代劇も民放テレビでは絶えてしまいましたし、若い人が知らないというのも無理はありません。
しかし、この漢字クイズに関してはほぼ全員が読めました。若くない人が多いのか、「蛇の目」を見たことがなくても知識としては常識なのかどうかは分かりません。ただ、「日本語の深層」の本によると「蛇の目」がどんな傘か分からない女子学生も「じゃのめでおむかいうれしいな」という「あめふり」の童謡は知っていたというから、死語にはなっていないということでしょう。
童謡つながりで「雨降りお月さん」の歌詞を調べたことで「傘」の問題が生まれました。「傘」だけで「からかさ」と読めるなんて、出題者も出題する直前まで知りませんでした。広辞苑で「からかさ【傘】」の見出し語を見たときは目を疑いました。実はこれこそ日本人と「かさ」のかかわりを示すことを、前述の「日本語の深層」は教えてくれます。
――戦前の童謡にもまだ使われていた「からカサ」という呼称は、頭にじかにかぶる方が、普通のカサで、柄(え)のついた開閉してさすのは「唐(から)かさ」と呼んでいた古代からの風習がまだあったのだと見られる。
つまり、日本人の庶民にとって「かさ」は頭にかぶる「笠」しかなかったので、柄のついた開閉する「かさ」は殊更に「唐」という字を使わなくても「傘」の字だけで舶来のカサ、すなわち「からかさ」を意味したのでしょう。ちなみに傘の字は柄のついたカサを示す象形文字。読みも「笠」と区別するため「傘=からかさ」で通っていたのでしょう。
なんと、童謡の中の「傘」の読み一つで日本人の民俗学的探求ができるとは。今回正解率が低かった「小雉子」も、キジは日本の国鳥とされるくらいだから昔は身近だったろうと、童謡の歌詞からもうかがえます。だから童謡は、いくら古臭い言葉が使われようといつまでも歌い継がれていってほしい。
しかし、「あめあめふれふれ」と同じ北原白秋作詞の「雨」は若い人数人に聞いても誰も知りませんでした。「紅緒の木履」の正解率の低さも、この童謡が歌われなくなったことを物語ります。暗いメロディーですし(蛇足ですが「霧越邸殺人事件」という推理小説では、その歌詞通りの道具立てで連続殺人が起こります)、今は家庭でも学校でも好まれないということでしょうか。
ただ、明るい暗いなんて子供にはあまり関係なく、歌ってくれる人がそばにいるかどうかが子供には大事なのだと思います。そして、子供の時には意味が分からなかった言葉が、ふとしたきっかけで大人になって分かる――その瞬間に歌ってくれた人のことを懐かしく思い出すことができれば、歌を教えた人も、教えられた人も幸せなのではないでしょうか。