北朝鮮が長距離弾道ミサイルとおぼしきものの発射実験をする10日ほど前のこと。「韓国紙・朝鮮日報は、4月の発射実験に失敗した北朝鮮が、ウクライナなど海外の技術や専門家の力を借り問題解決を図ろうとしていると報じた」という原稿が手元に届いた。
これを一読した同僚の校閲記者が「ウクライナとあるのに、海外というのはどうでしょう」と疑問を呈した。「北朝鮮とウクライナは地続きですよね」
たしかに二つの国は遠く離れているが、同じ大陸にあって、間に海があるわけではない。北朝鮮からすれば日本や米国とは海をはさんでいるが、ウクライナとはそうなっていない。この原稿には「海を隔てた」国名等が挙がっていない。「海外」と記すのはふさわしくないと考え、「ウクライナなど外国の技術や専門家の力を借り……」とした。
海外。「海を隔てた外国」(岩波国語辞典)「海の向こうの国」(大辞泉)と、いたって簡単であるが、だいたいの辞書は「海を隔てている」ことを挙げる。新明解国語辞典はこう言う。「四面海に囲まれている日本にとっては『外国』の異称」。日本国語新辞典は「海をへだてた国。日本は海に囲まれているところからいう」と記す。
地勢上、日本にとって外国はみな海外にあるが、他の国々では外国すなわち海外とはかぎらない。新聞でも、わが国の視点から書く記事では、外国を海外と記述することが多い。海外投資、海外資産、海外市場、海外貿易……。これらは外国と置き換えてもほとんど差し支えない。
だが島国でない大多数の国からみるとき、この言い方は外国全体についてではなく、その一部を指しているに過ぎない。
ただ、私たち日本人には海外はやはり外国であり、外国イコール海外であるという意識が強い。
大辞泉、日本国語大辞典、広辞苑などは第一義を載せた後に、「外国」と言い切りの形で載せている。新選国語辞典も「海をへだてたよその国。外国。国外」と「国外」を付加している。
新明解国語辞典にあるように、島国にいる日本人の感覚が反映された語釈といえるだろう。
校閲記者が国際関係の原稿に対するときは、「外国とは、海外のこと」という日本人のもつ感覚をはらいのける必要がある。
ある国にとって対象となる外国が陸続きである場合に海外と書くのは無論不適切だが、国名が特定されずその位置関係がはっきりとしない、あるいはさほど重要でないときでも、海外の第一の意味が「海を隔てた」国であることを考えるなら、誤解が生じないように外国、国外としたほうがよさそうだ。
【軽部能彦】