先手を取られるという意味の「先を越される」の「先」の読みについてうかがいました。
目次
ほぼ全員が「さき」
先手を取られる意味で「先(せん)を越される」と言いますか。 |
言わない。「さきを越される」と言う 85.9% |
自分では言わないが、聞いたことはある 12.9% |
自分でも言う 1.2% |
結果は「さき」と読むとする回答が9割近く。「せん」は聞いたことはあるが自分では言わないとする回答を含めると、全員に近い人が「さき」と言うことが分かりました。本来の言い方は「せんを越す」とされますが、いまや風前のともしびといえます。
梶原一騎は「せんを越され」がお好き?
一般的な文章では「先」という漢字にルビが付くことがほとんどありません。だからどう読むかは普通分かりませんが、総ルビが原則の小学生新聞ではルビを付けなければなりません。初校者が「さき」のルビを「せん」と直したところ、「さき」に戻されたことがあり、それはやむを得ないと思いつつ、どれだけ「せん」は知られていないのかを調べたくて、今回のアンケートの題材にしました。
往年の野球漫画「巨人の星」では「せん」と読ませていた記憶がありました。今回改めて講談社漫画文庫(1976年発売)で確認しましたが、例えば魔球大リーグボール1号が花形満によって打たれた日、左門豊作は、ライバルに先に打たれた感想を記者から求められ、
そこで先を越されたわしの感想をインタビューに…
とつぶやきます。このセリフに「先(せん)」とルビが振ってありました。
左門だけではなく、花形も「先(せん)をこされてなるか!」、星一徹も「オズマは先(せん)を越されかねんっ」、伴宙太も「先(せん)をこしやがった」、左門豊作の弟まで「こんどこそ先(せん)を越されたくない」、そして主人公・星飛雄馬自身も「先(せん)を越されたことかい」……原作者の梶原一騎さん、どれだけ「せん」が好きなの?
では、現在出ている辞書はどうでしょう。
「さきを越す」は「せんを越す」に誘導する辞書も
日本国語大辞典2版▽広辞苑7版▽大辞林4版▽新選国語辞典10版▽旺文社国語辞典12版▽三省堂国語辞典8版▽三省堂現代新国語辞典7版▽デジタル大辞泉――は「せんを越す」「さきを越す」両方を載せています。
新明解国語辞典8版▽岩波国語辞典8版▽現代国語例解辞典5版▽明鏡国語辞典3版▽新潮現代国語辞典2版▽小学館例解学習国語辞典11版▽集英社国語辞典3版▽角川必携国語辞典――は「せんを越す(越される)」のみ。
「両方」と「せんを越す」のみがほぼ拮抗(きっこう)しています。面白いのは三省堂現代新国語辞典で、「せんを越す」の対義語として「さきを越される」としています。受け身になると読み方も変わるという判断でしょうか。
さらに興味深いのは三省堂国語辞典で、「先(さき)を越す」を引くと「先(せん)を越す」を見るよう誘導されます。つまり、現代の言葉の使い方を色濃く反映させる方針のこの辞書でさえ、「さきを越す」をメインに掲げるのは見送っているのです。
とすると、「せん」とルビを振るのが適切なのでしょうか。
文化庁は「さき」も「誤りとできない」
文化庁「言葉に関する問答集 総集編」(1995年)を開きました。江戸時代には「せんをこす」の例しか見当たらないといいます。十返舎一九「東海道中膝栗毛」に「北八がせんをこしたとはつゆ知らず」という用例が引かれています。
同書によると、第二次大戦前の国語辞典では「さきをこす」という言い方を認めたものはないそうですが、文学作品では、有島武郎と森鷗外の例を挙げています。
これをまとめると、「先を越す」は本来の読み方としては「せんをこす」であるが、現在では「さきをこす」も誤りとはできないと考えられる。
と結論づけています。
その結論に異論はないのですが、ちょっと気になったのは、挙げられている文学作品がいずれも「日本国語大辞典」の文例と同じことです。文化庁ともあろうものが孫引き? いや孫引きそのものは悪いとはいえませんし、出典の確認もされているのでしょうが、念のため当方でも出典にあたってみました。
ちなみに、「毎日ことばplus」のあるコラムへの読者投稿で、引用元の原典に当たらなければ的外れになるという趣旨の意見をいただきました。コラムは学術論文とは違うので、信頼できると思った媒体の引用の元の資料に当たる必要は必ずしもないかもしれませんが、今回の引用に関しては気になったので原文に可能な限り当たりました。
まずは「東海道中膝栗毛」。国会図書館デジタルコレクションの「東海道中膝栗毛」第3編上(明治14=1881年)で確認しました。夜ばいのシーンです。
この書体は慣れないと分かりにくいですが、最後になんとか「きた八がせんをこし」と読めます。
「さきを越す」については森鷗外「雁」の文例が挙げられています。「森林太郎」名義の1915(大正4)年発行の本の復刻を見てちょっと意外だったのは、総ルビだったということです。森鷗外自身が振ったルビではないかもしれませんが、ここでは「さき」の早い実例が確認できます。
「どうせ僕は岡田君のやうなわけには行かないさ」と先(さき)を越して云ふ學生がある
いまや「さき」がメインでは
さて、今回「せんを越される」についてのX(ツイッター)の反応では
明治の山手で生まれ育った祖母は言ってた。前に住んでいた家のことを「せんの家」とも。
という投稿をいただきました。
こうしてみると、確かに「せんを越す」という言い方はされていたことがうかがえます。しかし今では「せんの家」「せんから」という言い方を耳にしなくなったようです。「せんを越される」も、もはやそう言う人はほぼいなくなり、「さきを越される」が一般的になっていることが今回のアンケートからは結論づけられます。
校閲はしばしば旧来の使い方を大事にしがちで、その保守的な姿勢は大事だと思いますが、今「せんを越す」と読ませるのが正しいあり方なのか疑問を感じさせます。そして「せんを越す」だけしか載せない、あるいはメインに据える辞書の方針も、そろそろ転換してもいいのではないかと思いました。
(2025年01月20日)
毎日小学生新聞は原則として全ての漢字に振り仮名を付けます。「先を越された」に「さき」と入っていた振り仮名を「せん」と初校者(60代)が直したのですが、筆者の意向に沿わなかったらしく「さき」に戻されました。
放送各社も参加してまとめた日本新聞協会の「新聞用語集」2022年版には「先を越す」は「サキヲコス」「センヲコス」どちらも正しいとしたうえで〔本来は「センヲコス」だが、やや古めかしいのでなるべく「先手を打つ」などに言い換える〕と注釈があります。
初校者は本来の使い方にしようとしたのですが、「せんをこされる」なんて言う小学生がいるとも思えないし、「さき」の間違いだと誤解されかねないかも。皆さんは「せんを越される」に違和感がありますか。
(2025年01月06日)