11月の酉(とり)の日には「酉の市」が開かれる。きょうは「二の酉」。東京は浅草・鷲(おおとり)神社のものが有名で、縁起物である熊手を売るさまで知られる。熊手でもって福をかきこめということだが、この神社の名前、いろいろ紛らわしいものもかき集めるようで……。
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取り違えやすい鷲と鷺
鷲という字がそもそも間違いを呼びがちだ。画数が多いので似た字と紛れやすく、ことに「鷲宮」が「鷺宮」と入れ替わる。社会人野球でもおなじみの鷺宮製作所が「鷲宮製作所」になり、埼玉県に以前あった鷲宮町(現久喜市)が「鷺宮町」になる、という具合。ところでこの旧鷲宮町には「鷲宮神社」がある。この読みは「わしのみや」で「おおとりのみや」ではないが、「おおとり」の読みや「鷲」の字を冠する神社の東の本社とされる。
ここで一旦、酉の市とは何かを押さえたい。酉の市を開く神社は、だいたいがヤマトタケルノミコト(日本武尊)とのつながりをうたっている。東征の際に、その地で戦勝を祈願したとか、勝ち戦を祝ったとか。その日本武尊の命日が11月の酉の日だったということで、祭礼を行うことになったという。浅草の鷲神社も日本武尊が祭神に含まれている。
鷲神社のように「鷲」を「おおとり」と読ませるのはかなり独特な読み方だが、校閲グループのウェブサイト「毎日ことば」に掲載しているクイズ「読めますか?」で、「浅草鷲神社」が出題された時の正答率は71%だった。答えてくれたのはある程度自信のある人と思うが、読み方は意外に浸透している。
「たけくらべ」には「大鳥神社」
もっとも、この読み方も昔にさかのぼると揺らいでくる。鷲神社の由緒書きには、江戸時代には「鷲(わし)大明神社」と号し、一方で「おとりさま」とも呼ばれていたとある。以前、「鷲(わし)神社」というルビを見過ごして上司に直されたことがあったが、その間違いも理由がないわけではなかったのかも。今の鷲(おおとり)神社という名称になったのは明治時代になってからだというが、その表記も、樋口一葉の「たけくらべ」(1896年)には「大鳥神社の賑(にぎわ)いすさまじく……」と書かれるなど、読みも表記も揺れ動く。
酉の市の発祥地は、浅草ではなく足立区花畑(はなはた)の大鷲(おおとり)神社。歴史は古く、室町時代から市が開かれていたというが、こちらも江戸時代には鷲(わし)大明神社と呼ばれていた。「江戸名所図会」(1830年代)には「正一位(しょういちい)鷲大明神(わしだいみょうじん)社 花亦(はなまた)村にあり。この地の産土神(うぶすな)とす。祭る神、詳(つまび)らかならず」と記されている。神様がはっきりしない神社というのも面白い。現在の大鷲神社は日本武尊を祭神としているが、表記や読み方ともども、いつの間に変化したのか曖昧な部分を残している。
堺市の「大鳥」と「鳳」
江戸時代でもはっきり「おおとり」と呼ばれた神社もある。東京では目黒区の大鳥神社がよく知られる。やはり「江戸名所図会」に登場しており、「泉州大鳥の御神を勧請(かんじょう)し奉る」とある。泉州(和泉国)は今の大阪府南西部。大鳥の御神は堺市の大鳥神社のこと。日本武尊が死後、白鳥(しらとり)に変じて飛来した地とされており、「おおとり」の名を持つ神社の本社とされている。こちらは神社の名前は大鳥だが、最寄りの駅名や地区名は「鳳(おおとり)」と、これはこれで紛らわしい。
表記もさまざまで呼び方も揺れてきた「おおとり」神社だが、背景や歴史を踏まえることで、少しは見通しもよくなるだろうか。間違いをかき集めることだけは避けたいものだ。
三の酉の年は火事が多い?
なお、2024年11月の酉の日は、5日に1度目の「一の酉」、17、29日にそれぞれ「二の酉」「三の酉」となっている。三の酉のある年は火事が多いという言い習わしがある。もっともこれは、酉の市にかこつけてふらふら遊びに行く男どもを家に引き留めるため、女性の側が考え出したこととも言われる。
【大竹史也】=2015年10月20日毎日新聞特集「校閲発・春夏秋冬」から