「後ろ倒しって、どう?」。就職活動の解禁時期を大学3年時の12月から3月へと後の方にずらす方針について意見を求められました。が、問題はその方針そのものではありません。「後ろ倒し」という言葉を記事に出していいかどうかでした。
この言葉になじみがなかった私は即答で「いや、まずいでしょ」。念のため手元の辞書をみたうえで「辞書にもないし」。出稿元には別の言葉に言い換えるよう要請し、結局その時は「繰り下げ」になりました。ところがその後、昨年暮れに出た「大辞泉」第2版が「後ろ倒し」を採録していることに気づきました。
うしろだおし【後ろ倒し】《「前倒し」に対して作られた語》予定の時期を先に延ばすこと。先送り。「開始時期を―にする」
探せた範囲では、この言葉を見出し語にしている辞書は大辞泉だけですが、「辞書にないから」とは言えなくなりました。「採用辞書が一つしか見当たらないから」が正確でしょう。さらに言うなら「大辞泉第2版は『女子力』『不思議ちゃん』など流行語や俗語も積極的に載せる方針なので、新聞に載せる際の後ろ盾にはできない」ということになるでしょうか。
今回マスコミに取り上げられるようになったのは、安倍晋三首相が就職活動の「後ろ倒し」に言及してからですが、その時初めて出てきた言葉ではありません。毎日新聞のデータベースで確認できる限りでは、1988年から15件使用されています。ただし「……年度以降に投資を後ろ倒しするのではないか」など、省庁関係者の発言の引用が主で、地の文として出てくるのはわずかです。意外に古くから使用例があるとはいえ、新聞で堂々と使っていいとは思えません。
同様な疑問は他社でもあり、全国の新聞・放送の用語担当者による会議でも取り上げられました。「使っている」という社は少数派でしたが「『先送り』や『繰り下げ』だと少し違う感じ。『後ろ倒し』は分かりやすい」「辞書にほとんどないからといって正しくないとはいえない」という意見が出ました。しかし大勢は「抵抗がある」「取材先の中央官庁でさんざん使われているのだろうが、違和感が強く当面使わない」といった慎重派でした。
なお、「前倒し」も官庁のつくった語だという声も上がりました。岩波国語辞典(第7版)によれば、「『繰り上げ』でも済むのに、一九七三年ごろに官庁俗語として現れたのが、広まった語」としています(「でも済むのに」と迷惑そうにしながら年を明記して載せるところにこの辞書らしいきちょうめんさが出ています)。とすれば、「前倒し」が今は違和感がなくなっているように、今後は新しい日本語として認知されていく可能性も否定できません。ですが今のところは、まだ一般的な言葉とはいえません。
それにしても官庁の人って「倒す」という言葉が好きなんでしょうか。いや逆に、決まったスケジュールはできるだけ守りたいから、それを変えることに対する抵抗感が「倒し」という言葉になって表れているのかもしれません。
【岩佐義樹】