漢字の読みが分からないとき振り仮名(ルビ)があると助かります。しかしその体裁を整えるのはなかなか厄介です。石破茂さんの「茂」が「げる」になっていないか、どこで区切ればいいか――など小さすぎる文字を相手に人知れず格闘する苦労をお伝えします。
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ルビの体裁に基準はあるのか
衆院選が公示された翌日の10月16日、毎日新聞では全立候補者の氏名とともにその読み方を振り仮名(ルビ)で示しました。
その日在京各紙(読売・朝日・日経・産経・東京)を買って全候補者掲載のページを調べたのですが……全員の読みが分かるのは毎日新聞だけでした。
普段そんなことをしないのですが、なぜ他紙を買いそろえたかというと、各紙のルビの体裁を見たかったからです。私は普段、毎日小学生新聞の担当なので、漢字のほぼすべてに振られるルビの体裁を気にすることが多く、他紙の人名のルビが気になったのです。しかし、朝刊各紙を買いそろえたのに、全候補者のルビを載せているのは毎日だけじゃありませんか。金返せ!という見当違いな怒りと裏腹に、毎日新聞ベストじゃん!というめったに抱かない愛社精神が突如わいてきたのです。
ただねえ……そもそもルビの体裁が気になったのって、裏返せば毎日新聞のルビの基準があやふやなことが背景にあるのですよ。
非常に細かい体裁の話なので、誤字とか本質的な日本語の話とかを期待する方はごめんなさい。一般読者にとって益体のない話と思います。ただ、その細かいルビが、ルビーのように美しくと言わないまでも、きれいに並んで、皆さんのお役に立てますようにと願っています。そう、ルビの語源は宝石のルビーにあるのですから。
意図せざる「ゲル首相」
例えば、これは毎日小学生新聞の作成中の記事から拾いましたが、違和感があるでしょうか。
なんだか「破」に「ばし」、「茂」に「げる」が対応して「いしばし・げる」さんに見えませんか? 確かに「ゲル」というあだ名も一部でささやかれているようですが、もちろんそれを意識したルビではありません。「石破茂」という3文字に「いしばしげる」という6文字のルビを均等に振った結果、こうなってしまっているのです。
毎日新聞本紙でもそうですが、上のようなルビ位置は下のように直します。
これは字と読みの対応関係がはっきりしていましたが、問題は字とルビの対応が明確でない場合、どうするかです。
例えば「井上」。「井=いの」「上=うえ」と切ってよいかですが、井に「いの」の読みはないので、ものすごく厳密にルビを振ろうとすると、「井」と「上」の字間に「の」のルビを打つのが正しいことになります。
均等に振るか、1字ずつ対応か
では「和泉」で「いずみ」と読ませる場合は。「和」に対応する読みはないので「泉」の部分のみに「いずみ」と振るのが正確でしょうか。いや、正確かもしれませんが「和泉」で「いずみ」と均等に振るのが現実的でしょう。
このように2文字の漢字に対し3文字のルビを振ることを毎日新聞では「均等ルビ」「群ルビ」と呼んでいます。ほかにも「対語(たいご)ルビ」「グループルビ」という言い方もあり、これは1文字ずつ対応させる「対字ルビ」「モノルビ」に対する用語です。
さきほどの「いしばしげる」は3文字の漢字に対し6文字のルビを均等に割り当てた結果であり、そういう方針と決めるなら間違いとはいえないのです。
「井上」に関しても「井上」で「いのうえ」と均等に割り振る方法ができないわけではありません。でも一見「井(いの)」「上(うえ)」と1字ごとに振った場合とほとんど変わらないため、あまり行われておらず、「いの・うえ」と分けるルビにしているのが現実です。
それならいっそ、「の」のような助詞的なルビは前の字に対応させるのを原則とするのを一つの方針としてもいいかも。「枕草子」は「まくらの・そう・し」で、「宇都宮」は「う・つの・みや」、「世田谷」は「せ・たが・や」。毎日小学生新聞は基本的にその方針でやっています。
その振り方でいくと「熊谷」で「くまがや」と読ませる場合、「くまが・や」と分けられます。しかし「くまがい」は。「くまが・い」とすると「谷(い)」という対応となってしまいためらわれます。「くまがい」と均等に割る方がベターと思います。
語源を調べ振り方を決める
なんか、すごくどうでもいいことにこだわっているなあ――そんな声が聞こえてきそうですね。でも、そのこだわりが意外に勉強になることもあるのです。
滋賀県の「近江」をどう振るかを考えましょう。近の字に「おう」の読みってあったっけ?なんて調べるよりも、語源を検索した方が早そうです。古事記では、「淡海」(あわうみ、あふみ)あるいは「近淡海」(ちかつあわうみ、ちかつあふみ)と書かれています。琵琶湖のことですが、これが都つまり京都に近いことから「近江」の字が当てられました。「江」はこの場合、淡水の湖を表します。ちなみに「遠江(とおとうみ)」は浜名湖です。
要するに近江は当て字ですから「おう・み」と分けられない、従って均等ルビとしているのです。
武蔵の「武」は「む」と読めるので「む・さし」と分けられるでしょうか。しかし語源は定説がなく、「む」に当たる漢字も古代には「牟」などいろいろあったようです。均等ルビにしています。
このように語源が調べられれば判断はつけやすく、知識も広がります。大げさに言うなら、ルビの振り方を通して日本語の歴史を学ぶことができるのです。しかし当然、どちらとも判断つかないものが多く、また一つ一つの固有名詞にかける時間もあまりないので、間違いでなければルビの振り方などまあどうでもいいか……となることもなくはないのです。
グレーゾーンは無限にありそう
迷ったときはすべて均等ルビにするというのも一つのあり方でしょう。ただそれが増えすぎると、行数が増える可能性があります。例えば「井上」の「井」が行の最後に来た場合、「いのうえ」の均等ルビが付いていると分けられないので、「井上」セットで自動的に次の行に送り込まれてしまいます。時間を争う新聞記事でそのために1行増えるのは、あまり現実的ではありません。「いの・うえ」と分けるのはそういう点からも合理的です。
では川合(かわい)は、麻生(あそう)は、羽生(はにゅう)は、渡部(わたなべ)は――グレーゾーンは無限にありそうですが、よく出る固有名詞だけでも統一ルールがあればと思います。でもルールを作るのも一朝一夕にはできそうにありません。
ただ「いしばし・げる」と読まれるようなルビは「ゲルショッカーじゃないんだから……古!」と内心自分に突っ込みつつ、1字ずつ対応させるよう手作業で修正しています。ルビは読みを知らない読者の助けになるぶん、人知れずそういう労力をかけているのです。
さて、今度の衆院選全当選者名鑑はルビの振り方の参考になるでしょうか。そういう方面でながめてみると新たな発見があるかもしれません。あ、ルビを載せていればですが。
【岩佐義樹】