「この文章は……」に続ける言い方として、「分かりづらい」と「分かりにくい」のどちらを使うか伺いました。
目次
いずれも使えるがニュアンスに差
この文章は「分かりづらい/分かりにくい」――どちらを使いますか? |
分かりづらい 19.9% |
分かりにくい 36.3% |
どちらでもよい 26.1% |
意味が違うので使い分ける 17.7% |
この文章は「分かりづらい/分かりにくい」といった場合にどちらを使うかという問いに、回答は前者が2割、後者が4割弱となりました。表現として「どちらかでなければならない」ということはありませんが、ニュアンスの差を掘り下げることはできるかもしれません。
主観的な「~づらい」、範囲の広い「~にくい」
今回の質問の場合の「~にくい」は、漢字では「難い」「悪い」といった表記になります。いずれも常用漢字表にない訓なので新聞で使うことはありませんが、何かをするのが困難である、するのに好ましくない、という事態を表します。一方の「~づらい」の表記は「辛い」で、こちらも表外訓です。何かをするのに苦痛があるという様子を表します。
明鏡国語辞典(3版)は、「にくい【難い】」の項目で「使い方」として
(1)「~づらい」は非意図的動作には使いにくいが、「~にくい」は意図的・非意図的のいずれの動きにも使う。「×壊れづらい/○壊れにくい」
(2)「~づらい」は主観的な困難さを表す傾向があるが、「~にくい」は客観的な理由による困難さも表す。「(個人的な事情や気持ちから)入りづらい大学」「(個人的事情で、また、倍率が高くて)入りにくい大学」
個人的な事情で入りづらい大学って、嫌な先輩でもいるのでしょうか……というのはともかく、「~づらい」が主観的というのは、苦痛というものが個人的なものであることを考えれば理解しやすいと思います。また、意図的動作に使うということも、意図したようにはできないことが精神的苦痛をともなうと考えれば、分かりやすいのではないでしょうか。
細かく使い分けるなら…
質問文の、この文章は「分かりづらい/分かりにくい」というのは、基本的にはどちらを使っても構わないものと考えます。理解することが難しく苦痛があると捉えてもよいでしょうし、客観的に見て理解するのが困難な文章であるという場合もあるでしょう。
個人的には、「この文章は分かりにくいな」と思っても、他の人に対しては「この文章は分かりづらいのだけれど……」と言うことで「自分にはよく分からないのだけれど、どう感じますか?」という問いかけにすることがあります。
「基礎日本語辞典」(森田良行著、角川学芸出版)は「~にくい」について
客観的ということは、対象側に困難を生み出す原因・理由がある場合が多いということである。受け手の側に理由があるのでなく、対象側の原因で“……しにくくなる”という状況は、多くはマイナス評価の状況である。
と言います。つまり「分かりにくい」といった場合には「理解しがたいのはこの文章のせいだ」というマイナス評価を示唆します。他の人の意見を聞くに当たって「分かりにくい」というと、最初からネガティブな評価を伝えることになるので、それを避けるために「分かりづらい」を使う、ということも考えられると思うのです。
どちらでもよいが、選ぶこともできる
とはいえ、上に挙げたような使い分けが特に推奨されるべきものというわけでもありません。今回の質問に対して「使い分ける」とした人は2割弱でしたが、あまり気にせず使っても何ら問題ないでしょう。
三省堂国語辞典(8版)は「つらい」の項目で、「~にくい」の「新しい言い方」として「〔消えかかった文字が〕読みづらい・手にはいりづらい・太りづらいからだ」という用例を挙げ、最近は「~づらい」と「~にくい」の差が意識されなくなっているとしています。
今回の質問のようにどちらを使っても通用する場合があるため、全般的に使い方の差が意識されなくなるというのは、ありそうな話です。どちらを使うかはもはや個人の好みによると言ってもよいのかもしれませんが、このまとめを読まれた方には、これらの言い回しを選ぶこともできる、ということを意識してもらえればと思います。
(2024年08月12日)
「~づらい/~にくい」は同じように使われることがあります。例えば、塗り箸で麺類は「食べづらい/食べにくい」などはいずれも使われるのではないでしょうか。一方で、「燃えにくい素材」のような言い回しは使われますが、「燃えづらい素材」のような使い方はされません。
「~づらい」は「(する方の側に)何らかの障害があって、そうしたい(しよう)と思っても思うように事を運ぶことができない状態だ」、「~にくい」は「そうすることに抵抗感があって出来ない様子だ」「仕組などの点から容易には実現出来ない状態だ」といったことを表すと説明されます(いずれも新明解国語辞典8版)。要するに「~づらい」では主体側に理由がある場合が主で、「~にくい」は客観的に動かしがたい理由による場合も含まれるという具合でしょう。
質問文のような場合は、「分かりづらい」だと「(私には)理解するのが難しい」というニュアンスになり、「分かりにくい」だと「(一般的に)理解するのが難しい」となりそうです。意味としてはさほど差がなくても、言葉を使う人自身が前に出てくるか否かという違いはあるかも。さて、皆さんはどのようにお使いでしょうか。
(2024年07月29日)