辰(たつ)年の「辰」には本来、竜を示す意味はありません。ではなぜ、辰にちなむ動物として竜が選ばれたのでしょう。想像ですが、誰もが知っている「あれ」が媒介になったのではないでしょうか。
遅ればせながら2024年のえと「辰(たつ)」について。十二支中、唯一の架空の存在である竜が当てられたのはなぜでしょう。校閲の仕事をきっかけに調べ、定説がないようなので自分で考えてみました。
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「辰」は「振」に通じる
えとの「辰」の字は「振」が由来――ある原稿にこんな部分があり、同僚が疑問を示しました。「それに近い記述もネットにはありますが、信頼性が確認できず、手元の漢和辞典にもそんなことは書かれていません」
でも、漢字の由来には諸説あるのが常。原稿の筆者が見た辞書類にはたまたま「振」が由来と書いてあったのかもしれません。念のため、職場にある漢和辞典で少なくとも7冊あたってみましたが、「振→辰」説を記す記述は見つかりませんでした。
しかし、振と全く関係がないわけではなく、ある漢和辞典には「意味を共有する」とありました。冒頭の文は「『振』に通じる」という直しを同僚が提案し、その通りに直りました。
さて、十二支の辰に当てられる動物は竜(龍はいわゆる旧字体なのでここでは用いません)。つまり辰という字がまずあり、それに竜という概念が当てはめられたわけですが、なぜ竜が選ばれたのでしょうか。
直接関係ないので「竜年」とは書かない
十二支とそれにちなむ動物の関係は、大漢和辞典の諸橋轍次も「十二支物語」(大修館書店)で
なぜ、多くの動物の中から鼠や蛇などを選んだかは、さっぱりわかりません。
と、さじを投げています。それぞれ十二支に当時の音が近い動物が選ばれているという話もあるようですが、それにしても意味上の関連はないとされています。
だから一般的に「竜年」とは書きません。あくまでも、2024年は「辰年」です。
ただ、全く関係のないものが任意に選ばれるのも不自然なので、現代人にはうかがい知れない何らかの関連があるのかもしれません。
多くの漢和辞典は「辰」は二枚貝が足を出して動く形の象形文字としています。辰は蜃(しん)の字に変化し大ハマグリを表すようになりました。蜃気楼はこの貝の息といわれました。「後西遊記」にその伝説をもとにした妖怪が登場します。
一方、蜃は竜の一種との説もあります。この説に従うと
「辰」→「蜃」∈竜
というつながりが見いだせます。
「震」はなぜ雨かんむり?
ちなみに、辰の字は「振」と似た意味の「震」も構成します。中国最古の字書「説文解字(せつもんかいじ)」には、辰は「震也(なり)」とあるそうです。大地が振動したら「地震」。二枚貝も一見動かないものに見えますが動くときは意外に活発ですよね。本来動かない大地が動くという地震とイメージが似ていると思います。
でも、なんで「雨かんむり」なのでしょう。その疑問は円満字二郎さんが「雨かんむり漢字読本」(草思社)でときあかしてくれます。
円満字さんはまず「辰」について、「『辰』を含む漢字には、“揺れ動く”という意味を含むものが多い。『振動』とは、“細かく動く”ことだ」と書きます。やはり「辰は振に通じる」とした直しは適切だったと改めて思います。その上で「二枚貝は、足を細かく揺れ動かす。それで、『辰』に“揺れ動く”という意味があるのだ」という通説を紹介します。で、雨かんむりで「震」となったのはなぜ?
「震」とは、もともとは“カミナリが落ちる”ことを意味する漢字なのだ。カミナリは、多くの場合雨を伴い、そうでなくても雲から落ちてくる。「震」という漢字に「雨かんむり」が付いているのは、そのためなのである。
ただ、『史記』や『春秋』には、「地震」という熟語も何度も登場する。つまり、当時から、「震」は現在と同じ意味でも用いられていたのだ。それは、カミナリが当たったときの衝撃から、意味が転化していったものなのだろう。
「辰」と竜をつなぐのは「震」かも
と、いうことは――。私は雷に打たれようにひらめきました(おおげさ)。辰の字と竜には、蜃というえたいの知れないものを仲立ちにするより、もっと目に見えるものが関係しているんじゃないか? 雷の光跡はまるで竜のように見えますよね。雷が「震」だとすると、その字を媒介に
「辰」→「震」→雷→竜
というリンクが成立するのではないでしょうか。
調べると、中国の後漢時代の「論衡」という著書では、「雷竜同類」という文言があります。これは「雲竜」の間違いだともいわれますが、それにしても雷が起こると竜が天に昇るという伝説が(批判的にですが)書かれていますので、雷と竜には密接な関係があったようです。
また、日本の「今昔物語」にも少なくとも2話、竜が出てくる話で雷が発生します。中国の影響かもしれませんが、海を越えてもやはり竜と雷がセットというのは面白いですね。
雷光に竜の片りんを見たのでは?
ところで、またある原稿の話ですが、竜は恐竜の化石から実在が信じられたという趣旨の文があり、本当かなあと思いました。確かにある種の恐竜や首長竜には竜に似たところはあるし、中国は恐竜化石の大国なので、一理はあります。
でも、化石が完全な原形をとどめて出てくるなんてめったにはないだろうし、仮にあったとしても、そこから生まれた竜のイメージが、化石に縁のない地方まで共有されていたというのも、ちょっと信じがたい気がします。疑問を呈して、一つの可能性という感じの控えめな文に変えてもらいました。
ただ、どこからイメージされたかは別として、竜の実在が信じられていたというのはいかにもありそうです。「龍の世界」(池上正治著、講談社学術文庫)によると現代でも実在説を唱える人がいるそうなので、いわんや古代においてをや。
それにしても、十二支に配された動物はほとんど中国人にとって身近なもので、実在か架空かはともかく竜は異質です。しかし、その片りんを大昔の人は雷光に見いだしていたのかもしれません。それなら十二支に選ばれるのも無理はないかも――もとよりそんな証拠はないのですが。
専門家でも何でもない一介の校閲者の空想とお笑いください。ただ、新聞記事としては、大昔の証明できないことを事実のように伝えるのは気をつけなければならないなと思います。一見納得できそうな説でも、別の可能性を追求することを妨げてしまいますから。竜頭蛇尾の文章でした。
【岩佐義樹】