3回泣きました。「若おかみは小学生!」というアニメ映画を娘と見てです。
最初は涙が指を通して袖に伝う程度だったのが、次はハンカチの出番となり、最後の方は声を上げて泣くのを娘の手前、抑えるのに必死になりました。
後でネット検索すると、果たして「号泣」という言葉を使って感想を記している投稿が多数ありました。これは正しい意味の使い方といえるかもしれないなと思いました。
というのも「号泣」の本来の意味は「大声を上げて泣くこと」なのに、単にぼろぼろ涙を流すことを号泣ということが増えているからです。
「号」という字の本来の意味は「大声を出す」ことで、部首「口」はその名残(円満字二郎著「漢字ときあかし辞典」)なので、号泣も大声を上げて泣くという意味になります。国語辞典もほとんどはその意味しか書いてありません。
「明鏡国語辞典」(第2版)では「注意」欄で「近年、声をあげずに大量の涙を流すことの意にもいうが、誤り」と断じています。
2010年度の文化庁「国語に関する世論調査」では、「本来の意味」である「大声を上げて泣く意味」と答えた人が34.1%。「激しく泣く」が48.3%でした。声に関係なく泣くことと解釈する人の方が多いという結果なのです。
文化庁のウェブサイトでは、この原因について「週刊誌やテレビ番組などが、誰かの激しく泣く様子を、声の有無にかかわらず『号泣』と表現し始め、それが、次第に、一般にも広がっていったのではないか」と解説されています。
今では声のない「号泣」の意味を載せる辞書も出てきています。「三省堂国語辞典」第7版では「号泣」の②の意味として「俗」と俗用であることを断りつつ「大いになみだを流すこと」と記されています。
編集委員の一人、飯間浩明さんは「三省堂国語辞典のひみつ」で、その意味で使われている実例を明かしていて、ぎょっとしました。
30分後に声を止めて号泣してる娘を発見
(西原理恵子「毎日かあさん」『毎日新聞』2007年9月16日付第21面)
「声を止めて」いる以上、これは〈大いになみだを流すこと〉の例と考えられます。他のいくつかの用例とあわせて証拠は十分となり、語釈を追加することになりました。
ああっ、よりによって毎日新聞が誤用の根拠とされてしまった――とほぞをかみました。当時社内で議論になったかどうか分かりませんし、校閲で指摘したのにそのままになった可能性もあります。しかし結果的に辞書に載せるお墨付きを与えてしまったことは否定しようがありません。新聞の影響力の怖さを思い知らされました。
さて、改めて毎日新聞で「声なし号泣」の例が広がっていないかチェックしようとデータベースで調べると、予想以上に「とほほ」という用例にぶつかりました。
複数の地域面で、赤ちゃんの「泣き相撲」で「号泣」が使われていたのです。
by Nesnad
確かに「大声を上げて泣くこと」には違いありません。しかし赤ちゃんに使うのって、ありでしょうか。
「新明解国語辞典」第7版には「(涙を見せたことのないような一人前の男性が)感きわまって大声をあげて泣くこと」とあります。「一人前の女性」だって「号泣」といってもいい気がしますが、それはおくとして「涙を見せたことのないような」という意外性にポイントがあると思います。泣くのが当たり前の赤ちゃんには「号泣」はふさわしくありません。
ただ、今後「号泣」のニュアンスが無制限に拡大していくと、やがて「赤ちゃんが号泣」に違和感を抱かない人が増えるかもしれません。
未来の国語辞典に「赤ちゃんが号泣」なんて用例を載せるきっかけを作らないよう、「号泣の使い方に要注意!」と呼号しなければと思いました。
【岩佐義樹】